男性はエレベーターのワイヤが切れ落下したと考えていた。エレベーターの外からは水の音が聞こえてきた。
神戸市東灘区、マンションの1階に中川さん一家が住んでいた。当時父親は単身赴任中。自宅には息子の亜太さんと亮平さん、母親の紀代美さんがいて被害に遭った。地震でマンションの1階が潰れてしまった。紀代美さんは奇跡的に無事だった。兄弟も無事で、2段ベッドの底が抜け2人は一緒にいた。
地震発生から約1時間、ビルの傾きが大きくなっていた。男性は落下の衝撃でエレベーターだけが斜めになっていると考えていた。
紀代美さんは息子たちの部屋に行こうとしたが通路が塞がっていた。紀代美さんは押し入れから息子たちの部屋に行くことにした。
エレベーターはビルの3階と4階の間で止まっていた。倒壊までの時間が迫っていた。朝の番組は内容を変更し、最悪の状況が明らかになってきた。役所や病院も大きな被害を受けていた。政府は対策本部を設置し各地で救助の派遣が始まった。男性はエレベーターに閉じ込められ7時間が経過。ドアの上部に左右2つのレバーがありレバーを両手で持ち上げ足で外側のドアに力を込めると開いた。男性はビルから脱出することができた。
1階がつぶれたマンションにレスキュー隊が到着したのは地震発生から9時間後だった。直下型の地震は予想をはるかに超えた被害をもたらした。
幼馴染の恵介さんがよく泊まっていたマンションが気になり、団長は恵介さんの実家に連絡。恵介さんは倒壊したマンションに泊まっていたことがわかった。呆然と立ちすくむ団長の姿が偶然新聞社の写真に収められていた。団長は4日間マンションの前で叫び続けたが恵介さんは遺体で見つかった。
地震は地球を覆うプレートが年に数センチずつ動くことで起きる現象。阪神・淡路大震災は直下型地震で海溝型に比べ震源地が近いため大きな揺れとなった。死亡原因の7割位上が窒息・圧死。犠牲者は6434人にも及んだ。あれから30年、この地震をきっかけに建築基準法も改正し耐震性能の強化も進められた。地震調査も大きく前進し活断層の存在も次第に明らかになった。
神戸市東灘区、マンションの1階に中川さん一家が住んでいた。当時父親は単身赴任中。自宅には息子の亜太さんと亮平さん、母親の紀代美さんがいて被害に遭った。地震でマンションの1階が潰れてしまった。紀代美さんは奇跡的に無事だった。兄弟も無事で、2段ベッドの底が抜け2人は一緒にいた。
地震発生から約1時間、ビルの傾きが大きくなっていた。男性は落下の衝撃でエレベーターだけが斜めになっていると考えていた。
紀代美さんは息子たちの部屋に行こうとしたが通路が塞がっていた。紀代美さんは押し入れから息子たちの部屋に行くことにした。
エレベーターはビルの3階と4階の間で止まっていた。倒壊までの時間が迫っていた。朝の番組は内容を変更し、最悪の状況が明らかになってきた。役所や病院も大きな被害を受けていた。政府は対策本部を設置し各地で救助の派遣が始まった。男性はエレベーターに閉じ込められ7時間が経過。ドアの上部に左右2つのレバーがありレバーを両手で持ち上げ足で外側のドアに力を込めると開いた。男性はビルから脱出することができた。
1階がつぶれたマンションにレスキュー隊が到着したのは地震発生から9時間後だった。直下型の地震は予想をはるかに超えた被害をもたらした。
幼馴染の恵介さんがよく泊まっていたマンションが気になり、団長は恵介さんの実家に連絡。恵介さんは倒壊したマンションに泊まっていたことがわかった。呆然と立ちすくむ団長の姿が偶然新聞社の写真に収められていた。団長は4日間マンションの前で叫び続けたが恵介さんは遺体で見つかった。
地震は地球を覆うプレートが年に数センチずつ動くことで起きる現象。阪神・淡路大震災は直下型地震で海溝型に比べ震源地が近いため大きな揺れとなった。死亡原因の7割位上が窒息・圧死。犠牲者は6434人にも及んだ。あれから30年、この地震をきっかけに建築基準法も改正し耐震性能の強化も進められた。地震調査も大きく前進し活断層の存在も次第に明らかになった。