ドラマ「VIVANT」に出演し、一躍時の人となった富栄ドラム。富栄と姉は幼少期にすごい病弱で、社交的じゃなかったという。小学校に入ってもいじめを受けたが、家族との時間は楽しかったという。4歳年上の姉・さやかさんは病弱だったがいつも笑顔にしてくれた。今でも忘れられない言葉が姉の「龍太郎だったらできる」だった。中学生になると体も丈夫になり、運動神経の良さを発揮して地元相撲大会で入賞すると伊勢ヶ濱部屋からスカウトされた。東京へ向う富栄に姉は「つらかったらいつでも帰っておいで」と言って新幹線代を渡した。姉に恩返しする番だと稽古に打ち込む富栄は単語カードに心に残った言葉を書き溜めて己を奮い立たせた。
2018年、目標だった十両昇進への道が見えてきた。そんな時、最愛の姉との突然の別れとなった。姉は「龍太郎が心配する」と衰弱していく体のことを言わないよう家族に伝えていた。3年後、相撲界を引退しても姉の「龍太郎は将来大物になる、龍太郎だったらできる」という言葉で前を向けた。富栄は次は自分が誰かを笑顔にするとエンタメの道へ進んだ。「VIVANT」の福澤監督との出会いは別の配役を決めるオーディションだったという。初めてのドラマに不安だらけだったが、共演者たちはやさしかったという。もうひとつ姉からもらった言葉が「龍太郎は大丈夫や、だって私が育てたんやから」だった。出演料で最初に買ったのが姉の写真を入れる写真立てだった。
2018年、目標だった十両昇進への道が見えてきた。そんな時、最愛の姉との突然の別れとなった。姉は「龍太郎が心配する」と衰弱していく体のことを言わないよう家族に伝えていた。3年後、相撲界を引退しても姉の「龍太郎は将来大物になる、龍太郎だったらできる」という言葉で前を向けた。富栄は次は自分が誰かを笑顔にするとエンタメの道へ進んだ。「VIVANT」の福澤監督との出会いは別の配役を決めるオーディションだったという。初めてのドラマに不安だらけだったが、共演者たちはやさしかったという。もうひとつ姉からもらった言葉が「龍太郎は大丈夫や、だって私が育てたんやから」だった。出演料で最初に買ったのが姉の写真を入れる写真立てだった。