先の大戦で台湾籍日本兵は21万人にのぼり、多くは南方の激戦地に駆り出された。少なくとも3万人が戦死したとされる。呉正男氏は16歳の時、陸軍に志願した。戦場で命を散らしてもいいという覚悟を抱いていて、終戦から2か月前、特攻意思調査が行われ、その時が来たと思ったという。だが、北朝鮮で終戦を迎え、呉氏はソ連兵に捕らえられた。カザフスタンの砂漠地帯にあるクズオルダへ送られ、冬場はマイナス25度を下回ることもあるという。関連する資料がほとんどないなか、収容所生活を経験した古田氏によると、ただでさえ食事量は少なく、ノルマを果たせないとより減らされたという。だが、母国に子どもがいたこともあり、絶対に生き抜くと意思を持っていた。
呉氏は80年代、TBSのインタビューに応じたことがあり、収容所生活の工夫について披瀝してくれた。収容所を出る際、日本名で書類に記入したところ、台湾ではなく日本へ送られた。
呉氏は80年代、TBSのインタビューに応じたことがあり、収容所生活の工夫について披瀝してくれた。収容所を出る際、日本名で書類に記入したところ、台湾ではなく日本へ送られた。