あすで被爆80年。被爆体験を語り継ぐ家族や有志の人は3割以上増加(2020年度比)。長崎市在住の小峰英裕さんは、亡き父の後を継ぎ、語り部の原稿の執筆に取り掛かっていた。父・秀孝さんは4歳の時に被爆し全身に大やけどを負い、後遺症にも悩まされてきた。生前被爆者団体の代表を務めたこともあり、語り部として30年以上自身の体験を伝え続けた。英裕さんは3年前父の世話をするために長崎に戻り、父の被爆体験を知ってもらう機会がなくなると危機感を抱き、語り部として本格的に歩み始めた。英裕さんは「父が受けた被爆・傷・いじめ・差別、きちんと自分なりに解釈したことばで話し、私が見た被爆者を語りたい」などと話した。