爆薬を積み敵の船に向かった海の特攻、通称「マルレ」。長崎県佐世保市に住む内野藤義さんは、太平洋戦争末期にマルレに乗っていた。爆薬を積んだ簡素なボートで敵の船に突っ込む事実上の特攻作戦で、アメリカ兵からは「自殺艇」と呼ばれていた。内野さんは最近まで家族にもマルレのことを話していなかった。内野さんがマルレに乗ることになったのは昭和19年4月、16歳で船舶特別幹部候補生に入隊したときだった。入隊時は特攻隊だと知らなかったという。香川県での訓練の後内野さんはフィリピンへ配置されたが、途中立ち寄った台湾で空襲を受け輸送船が沈んだ。船が無事だった別の中隊はフィリピンに到着し、全員戦死したという。昭和20年3月、内野さんにも出撃の命令が下り沖縄に向かうことになった。出撃直前、戦隊長が訓示で「俺は生きて帰ろうと思う」と語ったという。真意はわからなかったが、内野さんは戦隊長が作戦に疑問を持っていたのではないかと推測している。出撃後に波が荒れ相次いで船が故障し、戦隊長は作戦を中止した。そして再出撃の待機中に終戦を迎えた。80年の時を経ていま語った理由について、内野さんは「生きている者が言うべきではないと思っていた。しかし惨めだぞということも知らしめないといけないと思った」などと語った。
住所: 沖縄県南風原町字新川148-3
URL: http://www.archives.pref.okinawa.jp/
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