大正12年、浅草寺の周りには店が並び活気があった。創業者の矢野てるさんも小料理店を開いていた。関東大震災が起きてるさんの店も焼け落ちてしまったという。てるさんは上野の山に避難した。そこで大きな釜を使った炊き出しを行った。そして翌年「春」を開店した。1人用の釜は2代目が開発した。当時の金型は約20キロもあった。釜の素材や縁の厚みなどを改良し1人用の釜を完成させた。作り方などは創業当時のままだという。米にしょうゆ・酒・みりんをあわせたタレを入れ、具材を入れる。具材を一緒に炊くことで味が染み込むという。釜ははじめ蓋をせずに炊き気温や具材で沸騰時間が異なるため火の加減を調整する。SNSを活用し新規客も増えている。