長崎に原爆が投下されてからきょうで80年。きょうは「長崎を最後の被爆地に」と追悼の祈りと平和への願いに包まれる一日となった。80年前の原爆投下で浦上天主堂は建物は全壊、2つある鐘のうち片方は大破したがことしアメリカのカトリック信者などの寄付によって復元された。平和祈念式典には94の国と地域の代表などおよそ260人が参列。核保有国のほか対立が続く中東地域の代表も出席し立場の違いを超えて犠牲者を追悼した。長崎市の鈴木市長による平和宣言の中で紹介したのは被爆者として初めて国連の演壇に立った山口仙二さんの訴えだった。一方、石破首相が引用したのはみずからも被爆しながら被爆者の救護に力を尽くした永井隆医師のことばだった。式典では福山雅治が制作した被爆樹木をテーマにした曲「クスノキ」の演奏と合唱が行われた。
被爆者なき時代が迫っている。ことし、平均年齢は86歳を超え初めて10万人を下回った。被爆の実相の継承が課題となる中核兵器をめぐる国際情勢は厳しさを増している。13歳のときに被爆した被爆者代表の西岡洋さんはみずからも所属する日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞を振り返り平和への思いを訴えた。「長崎を最後の被爆地に」という願いは続いている。今この瞬間も戦争が続き核使用のリスクが高まっている時代であるだけに長崎を最後の被爆地にというメッセージを世界の指導者たちはしっかりと受け止めてほしい。
被爆者なき時代が迫っている。ことし、平均年齢は86歳を超え初めて10万人を下回った。被爆の実相の継承が課題となる中核兵器をめぐる国際情勢は厳しさを増している。13歳のときに被爆した被爆者代表の西岡洋さんはみずからも所属する日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞を振り返り平和への思いを訴えた。「長崎を最後の被爆地に」という願いは続いている。今この瞬間も戦争が続き核使用のリスクが高まっている時代であるだけに長崎を最後の被爆地にというメッセージを世界の指導者たちはしっかりと受け止めてほしい。
住所: 長崎県長崎市本尾町1-79
URL: http://www1.odn.ne.jp/uracathe/
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