1867年に渋沢はパリ万博へ。当時はスエズ運河が工事中だった。フランスのレセップスという人の会社が請け負っているという話を聞いた。渋沢は資本を集め事業を起こし利益を分配する株式会社のシステムに驚いた。さらに最先端のインフラ設備を目撃し「日本は欧米にやられてしまう」と感じた渋沢は、帰国後第一国立銀行を立ち上げた。「Bank」を「銀行」としたのは渋沢だった。ガスや電気、鉄道、証券など日本初の事業を次々と起こした。幸田露伴は渋沢のことを「時代の児」と表している。
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