滋賀県は20年計画で織田信長が築いた安土城の調査と整備を始め、初年度の調査がほぼ終了した。安土城は1576年に築城が始まり、1582年に本能寺の変で天主が消失した。調査では天守台の石垣などが確認された。礎石は熱を帯びて変色していたが、天守焼失時に被害が及んだと思われる。石垣の残り具合から意図的に城を壊す破城が行われた可能性があり、廃城のタイミングも想定できるという。1585年には近くに八幡山城ができ、秀吉が後継者の地位を固めた。廃城は秀吉の意向で進められたと考えられ、天下人が信長から秀吉に変わる過程を示している。
令和の大調査は3年かけて天守台の調査を行う。焼けた天守がどのような建物だったのか大きな手がかりとなるのが安土山図屏風。信長が城と城下町を狩野永徳に描かせたとされるが、天正遣欧少年使節がローマ教皇に献上し、現在、所在不明となっている。滋賀県は6言語で情報提供を呼びかけ、副知事がバチカンを訪問し協力を要請した。安土山の復元には必然性や十分な根拠が必要で、滋賀県はデジタルによる復元を目指している。
令和の大調査は3年かけて天守台の調査を行う。焼けた天守がどのような建物だったのか大きな手がかりとなるのが安土山図屏風。信長が城と城下町を狩野永徳に描かせたとされるが、天正遣欧少年使節がローマ教皇に献上し、現在、所在不明となっている。滋賀県は6言語で情報提供を呼びかけ、副知事がバチカンを訪問し協力を要請した。安土山の復元には必然性や十分な根拠が必要で、滋賀県はデジタルによる復元を目指している。