工藤裕也さんは、3年前の「知床観光船沈没事故」で姉の行方がわからないままとなっている。両親が離婚していたため、母親に届いた連絡で姉がいたことを始めて知ったという。母親から姉の話を聞く中、姉への思いが募り始めた。姉とのつながりを求め、母親と追悼式に参列した。同じように悲しむ被害者家族を見て、家族会への参加を決めたという。月に1回オンラインで全国の被害者家族と話し合いを重ね、慰霊碑の設置を求める活動を続ける中で、今では家族会の共同代表になった。一方で、事故を伝える動きにもどかしさも覚えているという、そんな中で出会った「美谷島邦子さん」。美谷さんは40年前の日航機墜落事故で当時9歳の息子を失くし、事故の被害者家族で作る連絡会の事務局長も務めてる。美谷島さんは今年2月、工藤さんを安全啓発センターに連れて行き、家族を失った悲しみや安全を求めた道のりを伝えた。それ以降、工藤さんにとって美谷島さんはかけがえのない存在になった。記憶のない姉の存在を手繰り寄せ、悲惨な事故を2度と繰り返させないための活動を続けたいと工藤さんは話した。