宮城・石巻市の楓音さんは小学2年生だった東日本大震災で妹を亡くした。笑顔が減っていった楓音さん。中学生の時に画家がプレゼントしてくれた妹が真ん中に描かれた家族の似顔絵をまっすぐ見られなかった。高校1年生の夏、震災を体験した子どもたちとアメリカに行き地域貢献を学ぶプログラムに参加し、それをきっかけに震災のことを人と話すことができるようになったという。震災から10年が経った頃、楓音さんは壮絶な記憶を震災の語り部として初めて口にした。
© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.