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「第一次世界大戦」 のテレビ露出情報

病気で突然、左手が思うように動かせなくなった23歳のピアニストの挑戦に密着した。小学生にピアノのレッスンをする押川憧子さん23歳。プロのピアニストを目指すさなか、突如、左手が思うように動かなくなった。両手での演奏は難しい。だからこそ押川さんは「左手のピアノ国際コンクール」への挑戦を決めた。7年前、初めて世界大会で開催され、ことしで3回目。出場者は全員、片方の手だけで演奏。抱える事情はさまざまだ。左手のピアノ国際コンクールという名前だが、右手でも出場できる。プロのピアニストを目指し、音大入学を機に上京してきた押川さん。今も1日4時間の練習は欠かさない。しかし、演奏を始めると、左手に症状が現れる。病名は局所性ジストニア。特定の動作を繰り返し行うことで発症するとされ、指や手首など、体の一部がこわばったり、力んでしまったりする神経性の病。押川さんがピアノを始めたのは4歳のころ。小学生で地元のコンクールに出場し始めると、高校時代には全国で1位に輝く。そして音大に合格。難関の大学院入試に向け、日々練習に没頭していた大学4年生のとき、症状が出始めた。絶望の中、出会ったのが、左手で弾くピアノ曲だった。第1次世界大戦で、右手を失ったピアニスト・ウィトゲンシュタインは左手の曲を名だたる作曲家に依頼したことで知られ、その後も多くの曲が生みだされた。
両手でなくてもピアニストとして曲を届けることはできる。診断から1か月、押川さんは再びピアノに向かい始めた。1年近く練習を続け、去年9月、片方の手だけで弾く国際ピアノコンクールに挑戦することを決めた。コンクール当日。予選を勝ち抜いたフランスや韓国のピアニストが出場し、3つの部門からなるこの大会。押川さんは7人が出場するセミプロフェッショナル部門で優勝を狙う。家族も応援に駆けつけた。この舞台に選んだのは、病気になって初めて右手だけで演奏をした曲。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月21日放送 20:55 - 22:00 TBS
マツコの知らない世界マツコの知らないホットドッグの世界
日本で初めてホットドッグが販売されたのは、昭和9年、日米親善野球大会が行われた甲子園球場と言われている。販売したのは、第一次世界大戦で捕虜として日本に連れてこられたドイツ人のヘルマン・ウォルシュケさん。ヘルマンさんは、終戦後も日本に残り、ハムやソーセージの加工技術を日本に伝えた。今、和製ホットドッグが注目されている。ホットドッグの世界を案内するのは、全国20[…続きを読む]

2025年10月6日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1910年代のマンハッタン島の様子が伝えられた。当時からすでに高層ビルの姿があった。当時は最も高いビルと言われていたウールワース・ビルディングもある。ブロードウェイにはタイムズ社が立ち、この一帯はタイムズ・スクエアと呼ばれるようになる。第一次世界大戦後は、家や仕事を失ったヨーロッパの人々が多く訪れた。また当時のベーブ・ルースの映像が残されており、この頃にヤン[…続きを読む]

2025年10月3日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングけさ知っておきたい!NEWS検定
「ハイチからフランスへの賠償金理由は?」というクイズが出題された。青・第1次世界大戦、赤・奴隷を失った。緑・船を壊された。

2025年8月16日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰の戦後80年SP 日本の第二次世界大戦
戦争の影響で北方領土が占領された。日本としては8月15日に戦争が終わったつもりになっていたが、戦後のドサクサに紛れて取られてしまったのが北方領土。国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島からなる北方領土は、19世紀半ば以降ずっと日本固有の領土。第二次世界大戦末期、日本とソ連は「お互いに侵略しない」との約束だったのに、ソ連は一方的に約束を破り日本へ侵攻。8月15日以降[…続きを読む]

2025年8月14日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
日本けん玉協会によると、日本では古い文献でけん玉が登場するのは1809年発行の「拳会角力図会」に記録が残されていて、当時は「匕玉拳」とも呼ばれ、玉をコップのような皿にすくい入れて勝ち負けを競うものだった。第1次世界大戦が終わった大正7年(1918年)、広島県の玩具職人が現在のけん玉の原型となる「日月ボール」の製造を開始。廿日市市では2014年からけん玉ワール[…続きを読む]

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