紀州藩(和歌山藩)では綿織物が一大産業として発展し、軍靴を作るための皮革産業、弾薬の製造も隆盛した。同藩では武士だけでなく庶民も徴兵し、武士の特権排除も図った。明治政府は紀州藩の事例を全国レベルで行おうとし、廃藩置県を考案。藩を解体して新しく県を設置し、国の命令を全国に行き渡らせるという方策。長州藩の木戸孝允、山縣有朋、井上馨は推進派の一方、西郷隆盛、大久保利通は慎重派だったとされる。だが、文献などによると、西郷は山縣から説得されて考えを改め、大久保も同意に至る。提議から発令まで要したのは10日だった。米沢藩主だった上杉茂憲は「朝廷のために忠義を尽くすことを希望する」と藩士を説得するなど、大きな抵抗は起きなかったという。