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「訪問インタビュー」 のテレビ露出情報

釜本邦茂さんは去年81歳で亡くなった。日本サッカー史上最高のストライカーと言われる釜本邦茂さん。サッカー後進国だった日本を一気に世界レベルに押し上げた立役者の1人。最大の武器は大柄な体から繰り出される強烈なシュート。日本代表では男子で歴代最多の75得点を記録している。相手ディフェンスを置き去りにするテクニックにも長けていた。昭和19年、京都・太秦で5人兄弟の4番目に生まれた。学校の先生から言われた「サッカーをやるとオリンピックとか海外に旅行できる」という一言が人生を決定づけた。釜本さんの才能が開花したのは17歳の時の出会いがきっかけだった。日本サッカー底上げのため西ドイツから招かれたデットマール・クラマーは、日本代表の選手たちにキックやヘディングといった基本プレーを一から教え込んだ。最年少で日本代表に選ばれた釜本さんはシュートの技術には世界と大きな差があることを思い知らされた。昭和39年の東京オリンピックで日本は準々決勝に進出したが、1点も取れずに敗退した。釜本さんはこの大会を通じ、わずか1得点に終わった。次のメキシコオリンピックに向け、シュートの技術を磨くためドイツに留学することを決めた。留学によってシュート技術は大きく変化した。
昭和43年のメキシコオリンピックで日本は釜本さんの活躍もあって3位決定戦に進んだ。釜本さんが前半に2本のゴールを決め、日本は2-0で銅メダルを獲得。釜本さんは大会通算7ゴールを決め、得点王に輝いた。次なる目標はワールドカップへの出場だったが、25歳の時にウイルス性肝炎を発症し2か月近く入院。その後も万全の体調に戻らなかった。日本リーグではヤンマーに所属し、チームの黄金時代を主力として支え得点王に7度輝いている。監督も兼務した後、昭和59年に現役を引退した。その後は全国でサッカー教室を開き、子どもたちの指導に情熱を注いだ。平成5年にはJリーグが開幕。釜本さんはガンバ大阪の監督に就任。日本サッカー協会の副会長も務め、FIFAワールドカップ日韓大会や選手の強化に取り組んだ。誰よりもシュートにこだわり、選手時代は通算548もの得点をあげた。鍛え抜かれた右足で世界と渡り合った81年の生涯だった。釜本さんは「『何か、あいつ好き勝手なことをしている』と若いころによく言われた。自分の仕事は点を入れることなんだから何を言っているんだと。チームではずばぬけた力を持っている人を使わなければ損。決して自分勝手にプレーをしているということじゃなくて、かみ合わせがうまくいくことによってチームプレーもうまくいく」と話していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年12月26日放送 21:00 - 22:00 NHK総合
ニュースウオッチ9(ニュース)
今年、各界を代表する方々が亡くなった。功績や人柄を偲ぶ。3月に76歳で死去した歌手・俳優のいしだあゆみさんの第20回NHK紅白歌合戦の映像などを放送。11月に92歳で死去した俳優の仲代達矢さんは俳優養成 無名塾で後進の育成にも力を尽くした8月に81歳で死去したサッカー元日本代表の釜本邦茂さん。メキシコ五輪では得点王に輝き銅メダルに貢献した。6月に89歳で死去[…続きを読む]

2025年12月24日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
俳優・浅香光代さんは、胸のすくような豪快な立回りで観客を沸かせた。戦後の浅草で、女性の立回りを売りにした女剣劇で一時代を築いた。浅草さんは昭和3年に東京・神田で、3人きょうだいの末っ子として誕生。父親が株で失敗し、貧しい少女時代を過ごすが、芸事が好きだった母親の影響で幼い頃から女優を目指していた。昭和17年、俳優・浅香新八郎の内弟子となって初舞台を踏んだ後、[…続きを読む]

2025年7月12日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
農民作家として知られる山下惣一さんは、農業に従事しながら著作を発表し、生産の現場から農業のあり方を問い続けてきた。直木賞候補となった「減反神社」など、小説からノンフィクションまで40作以上を発表。遺産相続をきっかけに露わになる農家の問題を描いた「ひこばえの歌」はドラマ化された。山下は昭和11年に佐賀県で5代続く農家の長男として生まれ、中学卒業後は進学を希望し[…続きを読む]

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