1615年に公家に向けて禁中並公家諸法度が発布。第一条には天子として身につけるべきは学問でありそれに励むべきとされた。なぜ幕府は急に「勉強しなさい」と言い出したのか。牧原教授は、伝統的な王としての姿を体現させ朝廷を立て直す主旨と解説した。法度を出す一方で朝廷を経済的に守り権威を高める政策をとった。牧原教授は、戦国時代に朝廷は非常に零落し財政難に陥っていた、秀吉の場合は圧倒的な経済力・軍事力・政治力を背景に天皇を抱き込む形で関白の地位についた、江戸幕府の場合は関白の地位を平安時代より継承していた藤原氏に戻した、天皇は幕府にとって好ましい君主としてあり続けることが期待されたと解説した。