元沖縄県知事の大田昌秀は沖縄に集中する米軍基地の縮小に取り組んだ。大田さんは1925年、久米島で生まれた。16歳の時に太平洋戦争が始まる。大田さんはは鉄血勤皇隊に編入される。大田さんの平和を願う情熱の原点は沖縄での凄惨な戦闘の記憶だ。戦争が終わると大田さんは琉球大学で研究者となり、戦争について考えた。
1990年、大田さんは沖縄県知事に立候補、当選する。1995年、米兵による少女暴行事件が起きる。事件に抗議する県民集会には8万5000人が集まった。沖縄では軍用地の強制使用を巡る問題も起きていた。1995年、平和の礎が完成、記念碑には国籍・軍人・民間人の区別なく沖縄戦で犠牲になった人すべての名前が記された。大田さんは、二度と沖縄を戦場にしてはいけないと、平和を求めた人生だった。
1990年、大田さんは沖縄県知事に立候補、当選する。1995年、米兵による少女暴行事件が起きる。事件に抗議する県民集会には8万5000人が集まった。沖縄では軍用地の強制使用を巡る問題も起きていた。1995年、平和の礎が完成、記念碑には国籍・軍人・民間人の区別なく沖縄戦で犠牲になった人すべての名前が記された。大田さんは、二度と沖縄を戦場にしてはいけないと、平和を求めた人生だった。