山口・宇部市の長生炭鉱。83年前の落盤事故で183人の労働者が取り残されたまま水没した。先月の潜水調査で遺骨や死蝋化した遺体などが見つかった。長生炭鉱の遺骨はこれまで政府から所在不明とされ、公的な調査はされてこなかった。事故が起きたのは1942年2月3日。アジア・太平洋戦争の真っ只中で、安全性は二の次にして石炭の採掘が求められていた。韓国人犠牲者の遺族が事故当日の記憶を話した。犠牲者183人のうち136人が朝鮮半島出身だった。半世紀後の1991年に長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会が結成され、追悼碑の完成に22年がかかった。遺骨の引き上げを目指して政府に協力を求めたが、政府は遺骨の場所が明らかでないから困難として拒否。刻む会は全国から1200万円の寄付を集めて抗口を発掘し、遺骨を探した。