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「関東大震災」 のテレビ露出情報

マンモスシティ東京。その一角に師走を象徴する街がある。魚の王国・築地の魚河岸。 魚河岸に一番近い国電・新橋駅で毎朝見られる風景。魚河岸で働く人は仕事場に着く前に早くも慌ただしさと活気の渦に包まれてしまう。大都会が眠りについているころ、魚河岸はすでに一日の活動を始めている。朝5時、魚河岸は競りの開始を待つばかり。毎日約2000トン以上の水産物が確実に人々の口に運ばれていく。大都会の驚くべき食欲。魚河岸の生命とも呼べる競り。市場の仕組みはとても複雑に見える。全国の産地から荷を受ける荷受け会社、そこから競りで品物を買う仲卸業者、そしてその仲卸業者から品物を仕入れて消費者に売る小売り業者。それらの取引がこの市場で行われる。中でも1300にも及ぶ仲卸業者は昔から魚河岸の中心。
魚河岸。正式名称は東京都中央卸売市場魚類部。魚河岸はわずか450m四方の狭い敷地に毎日10万人もの人があふれている。朝の数時間で一日の商いの勝負は決まる。それだけに口論が起こるのも日常茶飯事。10万人が毎日集まる場所魚河岸はひとつの都市の機能を持っている。ここに集まる人達のために40件近くの飲食店、衣料品店、その他あらゆるものを扱う店が並んでいる。手ぶらでここへ来ても魚はもちろん、道具を揃えて帰ることができる。買い出しを終わって立ち寄る寿司屋さんはその取引の情報交換の場にもなる。魚河岸の午前10時は普通の生活では夕方にあたる。
ウライさんは今年61歳、数少ない昔ながらの魚屋さんの1人。ウライさんが生まれたのは東京の漁師町だった佃島。 12の時にシジミを売り始めてから50年近く毎日魚河岸通いを続けてきた。昔、魚屋さんはみんな天秤を担いで魚を売り歩いたものだった。しかし、いまは広い東京中を探しても天秤担いで魚を売る人は20人もいない。商売する場所は毎日違う。その日の荷の入具合によって足の向くまま気の向くまま東京中を売り歩く。ウライさんが生まれた佃島は、その昔魚河岸を初めて開いた人たちが住んでいたところ。魚河岸の守り神・住吉神社。今から380年前、摂津の国の名主・森孫右衛門が漁師30人余を引き連れて開かれたばかりの江戸へやってきた。そして、徳川家で使う魚を賄うとともに許しを得て余った魚を日本橋のたもとへ持っていき、江戸市民に売った。魚河岸350年の歴史はこうして始まった。近くの海で魚が獲れなくなって佃島にはいま、一人の漁師もいない。しかし、魚河岸には大勢の佃島の人が働いている。
関東大震災後、いまの築地に移るまで魚河岸は日本橋にあった。それを伝える乙姫の像。芝居の賑い、吉原の賑いと並び称された魚河岸がここにあった。威勢がよくて切符が良い江戸っ子語りは日本橋の魚河岸に住む人達の中から生まれてきた。提灯に丸い魚河岸のマークを書く浜のやさん。もともと提灯屋をやっていたが、そちらの方は商売にならず、いまは市場の中で文房具店をやっている。魚河岸という文字を丸い形にまとめたのは浜のやさんのお父さん。それ以来どこでも、どこの港、どの市場でもこのマークは築地の魚河岸を代表する。そのマークを書く時はいまでも浜のやさんのところへ持ち込まれる。いかにも魚河岸らしい丸いマークは河岸に生きる人達の誇り。日本橋にあった魚河岸の様子を知る人も数少なくなった。日本橋時代を生きてきた長老たちは、いまは商売の方もすっかり息子にまかせ、月に一度集まって昔話をすることが楽しみ。しかし、魚河岸の良き時代は去った。いま魚河岸は物価問題の大きな世論の前に立たされている。
350年続いているマグロ仲卸店の朝。大きい魚を相手にするだけに包丁もいかにもそれにふさわしいものばかり。社長の寶井善次郎さん。これまでマグロ一筋に生きてきた。これからいつもの忙しい朝が始まる。息子の寶井祺善さんは大学の英文科を卒業して、すぐ魚河岸に入り今年で6年目。毎朝毎朝商売のコツを父親から身体で学んでいる。魚河岸では寶井さん親子のような姿は多い。競りに立つ前の下見、その日の相場をおよそ判断する最も重要な仕事。寶井善次郎さんは「重要な仕事。7~8年かかってもやっと始めのところがわかるくらいで、10年くらい経たないと芯からわかるわけにはいかない」などコメント。マグロについてのあらゆる要素を一瞬の間に判断して競り落とす、このとき頼りになるのは長年の経験と勘。市場に新設された入荷量表示板。近代化のひとつとして取り入れられたものだが、見る人はほとんどいない。魚河岸では約400年かけて作り上げた勘と経験の世界がいまも優先している。魚河岸だけが今のままのはずがない。若い跡継ぎたちの間にもそうした考えは芽生え始めている。
あの賑やかさが嘘のような日曜日。もうすぐお正月。今年も押し詰まって正月用品も去年に比べて大幅に値上げしている。物価問題の中でいつも論議の的になる、複雑で長い流通過程。しかし、現実には魚河岸の果たす役割は、昔とは比べものにならない程重要になっている。それだけに魚河岸に生きる人々は400年の歴史の中でひとつの転機を迎えようとしている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月23日放送 19:37 - 20:07 NHK総合
ブラタモリ加賀百万石と東大
旅のお題は「東大にしかない“宝”とは?」。タモリらは東京大学の構内を散策。構内にある三四郎池。当時、この池を中心に加賀藩の大名庭園が広がっていた。この立地は高台でありながら水を確保できる最高の場所だった。構内には懐徳館庭園という場所があり、この場所は明治時代末期に前田家が整備した庭園。東京帝国大学が建った後も前田家の土地が一部残っていた。そして、1928年に[…続きを読む]

2025年8月22日放送 9:00 - 10:25 日本テレビ
DayDay.土地伝説in横浜
横浜で土地伝説クイズ。日本初の鉄道は1872年、東京・新橋から横浜の間で開業したが、その横浜駅は今の横浜駅とは違う場所にあった。「開業当初の横浜駅は現在のどこにあった?」というクイズが出題。正解は「桜木町駅」。桜木町の駅前には鉄道創業の地として記念碑が立っている。1915年に路線拡大のため横浜駅は現在の隣駅・高島町駅に移転するが関東大震災で被災。そのため19[…続きを読む]

2025年8月21日放送 23:06 - 23:55 テレビ東京
カンブリア宮殿カンブリア宮殿 一度は行きたい!リゾートホテル仕掛け人
港区の赤坂氷川神社には江戸時代からつたわるあるものがある。それは江戸型山車。毎年秋に練り歩くが高さを変えることができ、8mまで人形があがる。かつて都内に多く存在していたが関東大震災や空襲で壊滅状態に。氷川神社では残った貴重な山車を修復していたが壊れたままのものが大半。東京ワールドゲート赤坂は地上43階地下3階でホテルやオフィスビルが入る複合ビルだが森トラスト[…続きを読む]

2025年8月21日放送 1:03 - 1:33 TBS
ふるさとの未来ふるさとの未来
日本で100年以上の企業は1.2%しかない。創業100年超えの企業は大阪の本社を構える1923年創業のタイガー魔法瓶。創業者が寅年で家で虎を飼育しているほど好きだったという。商品は魔法瓶や炊飯器など数々の商品を展開。また炊飯器の「炊きたて」シリーズは累計出荷台数7777万台を突破。2024年の売上は472億円に。世界60カ国で商品を展開する日本を代表する家電[…続きを読む]

2025年8月20日放送 21:54 - 22:00 日本テレビ
めぐる食卓めぐる食卓
墨田区の交流農園で育てられているのはかつてこの地で根付いていたのは寺島なす。甘くておいしいなすだったが姿を消した理由には関東大震災があり、復興と都市化で消滅したという。しかし種の保存期間に眠っていた原種をゆずりうけ、熟練農家などの協力で復活。地元の飲食店で扱われるようになったという。

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