サッカーJ1・ヴィッセル神戸は、阪神淡路大震災のあった1995年に創設された。あれから30年、当時を知る選手やスタッフがほとんどいなくなる中で、クラブの原点を継承しようと動き始めている。地震が起きた午前5時46分、地元兵庫出身で、高校時代に震災を経験したヴィッセル神戸・吉田孝行監督は、「1日1日を大事にして生きなければならない。サッカーを通して震災を知らない世代にも伝えられればいい」と述べ、強い決意を胸に30年を迎えていた。ヴィッセルは今月8日、リーグ3連覇のかかる新たなシーズンに向けて始動。練習を見守っていたヴィッセル神戸・芝英幸さんは、クラブに勤めて25年、地元の自治体と連携してイベントなどを行ってきた。選手たちに初めて大学2年生のとき、兵庫・神戸市の下宿先で経験した震災のつらい記憶を伝えた。震災当日に初練習を予定していたヴィッセルの活動は復興作業から始まった。30年の時を経てクラブは力をつけ、タイトルを獲得できるチームに成長。去年は2冠を達成。あの日の下宿先での行動を、悔やんでも悔やみきれずにいた芝さんは、次々に目標を成し遂げていくクラブに勇気をもらい、震災と向き合う決心を持てるようになったという。
ヴィッセル神戸・芝英幸さんは、クラブが歩んだ歴史や証言を残そうと、関係者から当時のことを聞き取っている。飲食店を営むクリスティアン一色さんは、当時クラブで通訳を務めていた。加藤寛さんは、育成の責任者だった。震災後、複雑な気持ちでサッカーをするチームに力を与えてくれたのは、地域の応援だったという。「地域とともにクラブはある」。ヴィッセルの原点にある思いを継承することが、未来につながっていくと考えている。芝さんは「神戸が元気な街に、もっと輝く街になるためにヴィッセルがもっと強くなっていいチームになる。そういう力になりたい」と語った。
ヴィッセル神戸・芝英幸さんは、クラブが歩んだ歴史や証言を残そうと、関係者から当時のことを聞き取っている。飲食店を営むクリスティアン一色さんは、当時クラブで通訳を務めていた。加藤寛さんは、育成の責任者だった。震災後、複雑な気持ちでサッカーをするチームに力を与えてくれたのは、地域の応援だったという。「地域とともにクラブはある」。ヴィッセルの原点にある思いを継承することが、未来につながっていくと考えている。芝さんは「神戸が元気な街に、もっと輝く街になるためにヴィッセルがもっと強くなっていいチームになる。そういう力になりたい」と語った。