- 出演者
- 広内仁 斉田季実治 佐藤真莉子 星麻琴 竹野大輝 吉岡真央 矢崎智之
オープニング映像。
試験に向け、各地ではさまざまな合格祈願が、大分・大分市・上野丘高校では、点がつくようにという願いを込めた、天突きと呼ばれる伝統の儀式が。埼玉・秩父市では、ごうかくとも読める地元の合角ダムにちなんだカツカレー。徳島・阿南市・お松大権現では、猫神へ祈願。飼い主の敵を化け猫となって討ったという言い伝えから、勝負事に御利益があるとされている。宮城・南三陸町では、特産のタコをモチーフにした文鎮「オクトパス君」が盛んに作られていた。受験シーズンは特に引っ張りだこの人気。
受験生にとって気になる天気。初日のあすは、関東〜九州にかけて晴れる一方、北日本の日本海側や新潟県を中心に明け方にかけて大雪や吹雪となる所がある見込み。最新の気象や交通の情報を確認し、時間に余裕を持って行動するように。
共通テストを実施する大学入試センターでは、インフルエンザなどの感染症にかかり、治っていない場合や発熱やせきの症状があるなど、体調が万全でない場合は、受験票に記載されている問い合わせ大学に電話をしたうえで、追試験の申請をするよう呼びかけている。
今回の会見について同志社女子大学・影山貴彦教授は「後ろ向きの姿勢、消極的な体制・姿勢は変わっていない。視聴者を一番に最優先にみるということ、タレント、スポンサーへ作りてたちの思いがいっていなかったかをもう一度再確認する必要がある。そうすることによってよりテレビの健全化が図られるのではないか」と述べた。
この時期、大根と一緒に煮込んだり、脂の乗ったお刺身といえばブリ。ブリはことし4月から漁獲量の上限となる漁獲枠を設定することになった。食卓にも影響するのか。東京都内のブリ専門店では、毎日多くの予約が入っている。ブリの人気の高さがうかがえる。ブリ専門店・餅づくみおり店長は「ブリは庶民的、食卓に並ぶような魚だったが、だんだん主役級になってきて、専門店でもたくさん客が来る。ブリがランクアップしているのかもしれない」と語った。
ブリ類の漁獲量で全国一を誇る長崎県。長崎・対馬市の漁港では、きょうも近海で取れたブリなどが水揚げされ、県外に向けた出荷作業が行われていた。今回、漁獲枠が設定されたことについて、漁業者・植木忠勝さんは「両氏は危機感を感じている。(国には)沿岸漁業者が今後持続可能な漁獲量を決めてほしい」と語った。今回示された漁獲枠は、来年6月までで全国で10万1000トン。直近の2022年のカンパチなども含めたブリ類の漁獲量は9万3000トンで、今回の漁獲枠には届かない水準。当面、実際の漁に与える影響は限定的と見られているが、10年ほど前には12万5000トン余取れた年もあった。水産庁は「取り過ぎを未然に防止する観点から、漁獲枠を設定することにした」としている。
漁獲枠の設定の背景には、日本周辺で取れる水産物全体の漁獲量の減少傾向がある。水産庁によると、ピーク時の1984年には、1150万トンだったが、2022年には295万トンと、4分の1程度に落ち込んでいる。その要因には、海の環境変化や資源量の減少などが指摘されている。水産庁は、2018年の法改正を受け、漁獲量が多い魚などを対象に漁獲枠を設定して保護する魚を段階的に増やしてきた。サンマやマアジ、クロマグロ、スルメイカなど、計28種類を対象にしてきたが、今回そこにブリが新たに加わった。水産資源の管理に詳しい鹿児島大学・佐野雅昭教授は「長期的に見たら、資源を持続的に使ううえで最も有効なやり方のひとつ。ブリは近年、どんどん漁獲量が増えている。今の高い水準で維持していくためには、何らかの資源管理は絶対必要」と語った。水産庁は、今後はサワラなどでも、漁獲枠の設定を検討していく。将来にわたって食卓に欠かせない水産資源を守るために、息の長い取り組みが求められそう。
内閣府は、財政の健全性を示す指標「基礎的財政収支」について最新の試算を示した。これまで示してきた新年度2025年度の黒字化から一転し、4兆5000億円程度の赤字になるとしている。物価高への対応などを柱とする今年度の補正予算が13兆円を超える大きな規模となったことなどが要因で、財政健全化に向けた姿勢が改めて問われそう。
中国の去年1年間のGDP(国内総生産)の伸び率は、物価の変動を除いた実質で、前の年と比べて+5.0%となった。中国政府は、去年の経済成長率の目標を+5%前後としていて、これを達成した形。ただ米国・トランプ次期大統領の就任によって、米中間の貿易摩擦が激化することへの懸念が出ていて、先行きには不透明感が広がっている。
日本全国の気象情報。
阪神淡路大震災から30年のニュース。プロ野球オリックスと阪神の監督や選手たちが犠牲者を悼んだ。オリックスは、選手や監督など約90人が黙とうした。室内練習場では、被災した街の様子やこの年のリーグ優勝を伝える写真が展示され、新人選手たちが見入っていた。オリックスドラフト1位・麦谷祐介選手は「誰かのため、ファンのためを思って夢や感動を与えて優勝したと思う。30年目の節目でそういう縁もあると思うので1年目だが優勝に貢献したい」、岸田護監督は「あのときの“がんばろうKOBE”。野球で街を盛り上げられたのを中学生ながら見ていた。そういう気持ちでまた野球に取り組んでいかなければいけない」と語った。
阪神は、新人時代に選手寮で震災を経験した阪神・北川博敏コーチが「野球を通して勇気や笑顔を届けることしかできないと思う。そういう気持ちを選手には伝えていきたい」と思いを話した。
サッカーJ1・ヴィッセル神戸は、阪神淡路大震災のあった1995年に創設された。あれから30年、当時を知る選手やスタッフがほとんどいなくなる中で、クラブの原点を継承しようと動き始めている。地震が起きた午前5時46分、地元兵庫出身で、高校時代に震災を経験したヴィッセル神戸・吉田孝行監督は、「1日1日を大事にして生きなければならない。サッカーを通して震災を知らない世代にも伝えられればいい」と述べ、強い決意を胸に30年を迎えていた。ヴィッセルは今月8日、リーグ3連覇のかかる新たなシーズンに向けて始動。練習を見守っていたヴィッセル神戸・芝英幸さんは、クラブに勤めて25年、地元の自治体と連携してイベントなどを行ってきた。選手たちに初めて大学2年生のとき、兵庫・神戸市の下宿先で経験した震災のつらい記憶を伝えた。震災当日に初練習を予定していたヴィッセルの活動は復興作業から始まった。30年の時を経てクラブは力をつけ、タイトルを獲得できるチームに成長。去年は2冠を達成。あの日の下宿先での行動を、悔やんでも悔やみきれずにいた芝さんは、次々に目標を成し遂げていくクラブに勇気をもらい、震災と向き合う決心を持てるようになったという。
ヴィッセル神戸・芝英幸さんは、クラブが歩んだ歴史や証言を残そうと、関係者から当時のことを聞き取っている。飲食店を営むクリスティアン一色さんは、当時クラブで通訳を務めていた。加藤寛さんは、育成の責任者だった。震災後、複雑な気持ちでサッカーをするチームに力を与えてくれたのは、地域の応援だったという。「地域とともにクラブはある」。ヴィッセルの原点にある思いを継承することが、未来につながっていくと考えている。芝さんは「神戸が元気な街に、もっと輝く街になるためにヴィッセルがもっと強くなっていいチームになる。そういう力になりたい」と語った。
幕内で10回の優勝を果たした横綱・照ノ富士が現役を引退。土俵生活についてその思いを語った。照ノ富士は「自分の中でできるかぎりのことを尽くしてきた。これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきじゃないと引退を決めた」と語った。力強い四つ相撲で幕内で10回の優勝を果たした33歳の照ノ富士。約14年にわたった土俵生活に今場所で別れを告げた。しかしひざのけがや糖尿病などで休場が続くと、大関から一時は序二段まで番付を下げた。たゆまぬ努力で徐々に番付を戻していった。令和3年に第73代横綱に昇進。照ノ富士は「14年間、激しい相撲人性だった」と語った。今後は親方として後進の指導にあたる。後輩の活躍にも期待を寄せている。