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「鹿屋基地」 のテレビ露出情報

昭和19年10月20日にフィリピンで撮られた写真。最初の特攻作戦を見送っているのは海軍参謀長・大西瀧治郎中将。昭和20年、鹿屋に特攻の司令官として宇垣纏中将が着任。第721航空隊、通称神雷部隊が編成された。特攻部隊の拠点はとても不憫な環境だったと証言が残っている。ここで撮られた写真に写る隊員たちは笑顔が満ち溢れている。人間爆弾・桜花は1人乗りで自力飛行が出来ない爆弾だった。米軍が桜花を分析した図面には「BAKA」と書かれていた。戦後、鹿屋基地の周辺で米軍によって撮影された映像を紹介。当時、鹿屋には300機の桜花があった。桜花の整備を担当していた立元良三さんは96歳。聞き取り記録には若者らしい素顔がうかがえる証言が数多くある。特攻隊員は出撃命令が下るまでは自由な時間が多かった。鹿屋高等女学校の通信隊・岩重さんは男女の交流に厳しかったことを覚えていた。
女性たちの事情はお構いなしで、限られた命で恋心を燃やす隊員たちもいた。地元鹿屋出身だった徳永幸雄さんの弟と妹が当時のことを話してくれた。父親から「明日は死ぬ身だぞ。後に残った人はどうするのか」と怒られたという。出撃までの時間を鹿屋の人たちを過ごした神雷部隊。基地近くにあった和菓子店にも特攻隊員が集まっていた。老舗菓子店富久屋の六女・北村さんは「女の子がいてお菓子を食べに来てみんなでわいわい騒いで。特攻隊の方と仲良くなった」などと述べた。6人姉妹の父・若松さんは我が子のように店に集まる隊員の面倒を見たという。特攻隊員と次女が恋仲になり、結婚を了承。三女の娘・武田さんは当時のことを母に聞いていたという。長女は戦時中に結婚。相手は学徒通信隊と一緒に働く通信兵だった。三女は女子通信隊員と同級生。昭和20年3月から激しい空襲を受けるようになっていた。鹿屋を空襲した際に米軍機が撮った映像を紹介。3カ月以上にも渡り激しい空襲を受け、多くの住民が犠牲となった。基地も大きな被害を受けた。
住所: 鹿児島県鹿屋市西原3-11-2
URL: http://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月9日放送 14:30 - 16:00 フジテレビ
もしも君が僕の最期の声を聞いてくれたらもしも君が僕の最期の声を聞いてくれたら〜新証言 女学生極秘部隊と特攻隊の恋〜
鹿児島県鹿屋は古くから飛行場があり太平洋戦争末期、3つの海軍航空基地が整備され沖縄への攻撃を指示する第五航空艦隊司令部が置かれた。特別攻撃作戦とは搭乗員が爆弾を搭載した軍用機や小型艇で敵艦に必死の体当たりをする太平洋戦争末期に行われた作戦で海軍では「神風特攻隊」と呼ばれ10代、20代の青年が亡くなった。連絡手段はモールス信号。特攻の操縦員は特別なモールス信号[…続きを読む]

2025年5月15日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.NNN戦後80年プロジェクト いまを、戦前にさせない
今年は戦後80年、「いまを、戦前にさせない」をテーマに今日は小松から出撃し小松で終戦を迎えた特攻隊員たちが見た、戦争の記憶をたどる。石川県小松市串町、ここには戦後代々受け継がれる踊りがある。踊りが誕生した背景には、この町で暮らし明日をも知れぬ若者たちの存在があった。航空自衛隊小松基地に手がかりが残っている、戦闘機を空襲から守るための掩体壕。海軍の飛行場として[…続きを読む]

2025年4月4日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース鹿児島局 昼のニュース
鹿屋市では例年、旧鹿屋航空基地から出撃して戦死した特攻隊員らの追悼式が4月に、旧海軍の串良基地から出撃して戦死した特攻隊員らの追悼式が10月に、太平洋戦争の戦没者追悼式が11月に行われてきた。しかし、鹿屋市はことし戦後80年になることから、個別で追悼式を開催するのではなく、11月2日に合同で行うことを決めた。背景には参列者の減少もある。遺族の高齢化などで去年[…続きを読む]

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