気仙沼出身の藤田明美さんが嫁いだのは高知・黒潮町。自宅のいまには気仙沼の震災前の写真が飾られていた。ありがとうを伝えたいのは旦那さんだった。夫の理さんは長年、カツオ船に乗船。舳乗りとして釣り師たちの一番手を務めた。カツオの生息区域に合わせ移動し、1年の大半を船で過ごしてきた。水揚げのため気仙沼の港を訪れた時、明美さんが働いていた飲食店で出会った。東日本大震災で明美さんらは無事だったが姉は亡くなってしまった。そんな時、明美さんは理さんから元気づけられたという。2人を結んだ港は甚大な被害で機能が停止。しばらくカツオの水揚げはないだろうと多くの市民が消沈していた。しかし数カ月後、港の一部が補修されると、全国のカツオ船が寄港。その中には理さんの船もあった。震災から2年後に2人は結婚。姉が残した子どもを育てる明美さんを理さんは支え続けた。
藤田明美さんが「お互い2度目の人生これから先、変わらず感謝の心、ありがとうという気持ちをもって2人仲良く、ゆっくりいきましょう。これからもよろしくお願いします」と感謝の手紙を贈った。小野寺幸史さんはカツオ漁師たちに「何よりもいつも新鮮で美味しいカツオを水揚げしてくださりありがとうございます」と感謝の手紙を贈った。
藤田明美さんが「お互い2度目の人生これから先、変わらず感謝の心、ありがとうという気持ちをもって2人仲良く、ゆっくりいきましょう。これからもよろしくお願いします」と感謝の手紙を贈った。小野寺幸史さんはカツオ漁師たちに「何よりもいつも新鮮で美味しいカツオを水揚げしてくださりありがとうございます」と感謝の手紙を贈った。