- 出演者
- 南野陽子 小山慶一郎 井ノ原快彦
南野陽子らの挨拶。気仙沼の有志で作るありがとう委員会は東日本大震災からの日々を振り返り、感謝状を渡そうと呼びかけている。このプロジェクトも5年目を迎えた。
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- ありがとうを3.11に伝えよう委員会
ありがとう委員会委員長の小野寺幸史さんらが挨拶。会場には気仙沼にゆかりのある20人が集まっている。
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- 気仙沼市(宮城)
田口さん夫婦がありがとうを伝えたいのは、山口・周防大島にいる兄妹デュオ「マウンテンマウス」だった。マウンテンマウスはインディーズとして県内外の福祉施設を周り地域を元気にしたいと活動してきた。互いにプロ野球、楽天のファンだったことが縁で18年前に田口さん夫婦と知り合い気仙沼を訪問。まぁしぃらは気仙沼が大好きになり何曲も歌を作った。2011年の震災、2人は気仙沼の状況をテレビで見ていた。まぁしぃは「すごいショックだった。ひと事じゃなかった」などと述べた。酒屋を営んでいる田口さん夫婦、震災後、惠美さんは心身ともにギリギリの状況だった。そんな時にマウンテンマウスが気仙沼のために動き始めていることをしった。漁師をしているまぁしぃは、船を寄贈しがれき撤去のボランティアにも参加していた。さらにチャリティーコンサートでは熱唱。
田口さん夫婦は「わたしたちは山口と宮城で遠く離れていますがこれまで築いた絆を大切にしていきたいので、これからもよろしくお願いします」と感謝の手紙を贈った。
マウンテンマウスが「荷物が愛でいっぱい」を披露した。
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- 荷物が愛でいっぱい
気仙沼出身の藤田明美さんが嫁いだのは高知・黒潮町。自宅のいまには気仙沼の震災前の写真が飾られていた。ありがとうを伝えたいのは旦那さんだった。夫の理さんは長年、カツオ船に乗船。舳乗りとして釣り師たちの一番手を務めた。カツオの生息区域に合わせ移動し、1年の大半を船で過ごしてきた。水揚げのため気仙沼の港を訪れた時、明美さんが働いていた飲食店で出会った。東日本大震災で明美さんらは無事だったが姉は亡くなってしまった。そんな時、明美さんは理さんから元気づけられたという。2人を結んだ港は甚大な被害で機能が停止。しばらくカツオの水揚げはないだろうと多くの市民が消沈していた。しかし数カ月後、港の一部が補修されると、全国のカツオ船が寄港。その中には理さんの船もあった。震災から2年後に2人は結婚。姉が残した子どもを育てる明美さんを理さんは支え続けた。
藤田明美さんが「お互い2度目の人生これから先、変わらず感謝の心、ありがとうという気持ちをもって2人仲良く、ゆっくりいきましょう。これからもよろしくお願いします」と感謝の手紙を贈った。小野寺幸史さんはカツオ漁師たちに「何よりもいつも新鮮で美味しいカツオを水揚げしてくださりありがとうございます」と感謝の手紙を贈った。
畠山大輝さんらが気仙沼市二十歳を祝う式典でお世話になった人たちへありがとうの気持ちを伝えた。
気仙沼市立階上小学校には、10年以上、朝の会などで合唱されている歌がある。タイトルは「充」。震災当時、階上小の教師だった小野寺香織さんが感謝を伝えたいのは、この歌を贈ってくれた小椋先生と吹奏楽団 PASSION。震災から2年後、地元の地福寺で開かれたコンサート。そこで小椋先生たちと生徒らが歌っていたのが「充」だった。小野寺香織さんは音楽も心の復興になるんだなと思い、小椋先生から楽譜を送ってもらい学芸会で合唱した。小椋伸人さんは高校生の時に阪神・淡路大震災を経験しがれきの中で大きな無力感を感じていた。東日本大震災が起きたときには教師となっていた小椋さん。震災の2日後くらいに子どもらが言葉を持ち寄り「充」を作詞した。2025年1月11日、小野寺さんが中心となり立階上小・中の子どもたちや卒業生をコンサートを開いた。阪神・淡路大震災から30年、大きな被害があった神戸市立長田中学校とオンラインで結び、「充」の合唱を届けた。
小野寺香織さんが「すてきな曲を、そして素晴らしい交流をありがとうございました、これからこの支援の輪をのとや他の被災地につなげていきましょう」と感謝の手紙を贈った。
井ノ原快彦の隣にあったカプセルトイを回すと、中から貝殻などで作られたグッズが出てきた。このグッズは能登から取り寄せたという。「道の駅 大谷海岸」には能登の特産品を販売するコーナーがある。1月には紹介したカプセルトイを設置。このカプセルトイは能登の小・中学生が作ったものだった。珠洲市に大谷小中学校というのがあり、生徒から「大谷地区」「大谷海岸」と同じ字を書くので置かせてもらえないかとメールがきたという。設置して2日かからず完売したという。能登半島地震で大谷小中学校の被害は甚大、町外への避難も相次ぎ、23人いた小中学生は5人に減った。その5人が地元で拾った貝殻などを使ってカプセルトイを使って販売を始めた。
気仙沼のNPO「まるオフィス」が能登の高校生たちを招待した。気仙沼市内を案内して回ったり、街作りに関わった人たちと話す機会もあった。岩槻佳桜さんらもボランティア活動をしている。岩槻佳桜さんらは珠洲市立正院小学校を訪れ、子どもたちの学習をサポートした。東日本大震災の後、小学生だった岩槻佳桜さんは同じサポートを受けていた。
能登から中継。今の状況について柳田尚利さんは「やっと公費解体が進んでつぶれた家が見えなくなってきて応急復旧でも道が平らになってきたところ。人口の流出が止まらない」などと話した。南野陽子は「」もどかしい思いがすごい時期だと思う。とにかくちゃんと交流できならいいなと思う」などと話した。
気仙沼にある古谷館八幡神社。ありがとう伝えるのは宮司の熊谷正之さんと妻のりえ子さん。熊谷市民が毎年100本ずつ熊谷桜の苗木を運んできてくれる。2人は気仙沼に熊谷桜を根付かせようと尽力してきた。去年4月14日目に1000本目の桜が届いた。熊谷桜を届けてくれた人たちにありがとうを伝えたい。熊谷市と気仙沼市に縁ができたのは約800年前。熊谷市の武将の孫・熊谷直実が気仙沼に移り住んで領主となった。そんな歴史もあり、震災の翌年に熊谷の市民劇団が気仙沼で復興支援歌舞伎を開催した。同行した熊谷市民、約200人から投じられたおひねりは、気仙沼への義援金だった。公演をサポートした熊谷さん夫婦。大事に取っているものがあった。それはお金を包んでいた紙。1つ1つに応援のメッセージが書かれていた。その2年後、歌舞伎のメンバーらが中心となり気仙沼に桜を植える会をを結成。花の嫁入りが始まった。感謝を伝えたいのは活動の先頭にたっていた横田透さん。熊谷桜は南北30キロに植えられた。
熊谷りえ子さんが「14年間分の感謝をこめてありがとう、そしてこれからもよろしく」と感謝の手紙を贈った。横田透さんは「10年間で424人の方が気仙沼に伺ってる。暖かく迎えてくれてそういうことがあったからこそ10年続いてきたと思っている」などと話した。
小山慶一郎は「能登のことがあって、これまで支えてきてもらった分、支えるんだっていう方にまわられてるんだなってみなさんの表情を見ると思う」などと話した。
エンディング映像。
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2024年3月9日(17:00)