肌着の開発を始めて2年。ピンク色が他の色に染まらない。家でも妻からダサいと酷評されてしまった。なんとかする方法はないのか萩野がたどり着いたのは滋賀の染色会社、サカレンだった。荻野はベテラン職人の皆本修助に「N-38はどうやっても色が入らない。組み合わせているポリエステルだけを染めることでピンク色を隠せませんか?」と注文した。皆本はこの難しい注文を引き受けた。発注されたのは黒。皆本は試しに染めてみるとおかしな色になった。何度やってもN-38は変な色になってしまった。皆本は染めるスピードが遅く大量生産の時代には合わないと弾かれていた機械を使い、ゆっくり丁寧に染めていった。試行錯誤を繰り返し1年、皆本は生地を染め上げた。1997年11月、肌着がついに発売された。1ヶ月が経ったころ、営業担当に「もう店には在庫がないらしいな」と声をかけられた。3年後には80万枚。4年後には100万を達成した。そして後を追うように名だたる大手衣料品メーカーが参入した。
