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「YouTube」 のテレビ露出情報

1990年代、世界はインターネットの夜明けに沸き立っていた。このイベントに参加し胸を熱くしていたのが大学生の山田進太郎だった。山田は1977年愛知・瀬戸市出身。中学から神学校に進むも成績はふるわず地味な存在だった。建築家などを夢見たがなれるとは思わなかったという。特技はインターネット。大学のサークルでどの講義が休みかを発信するとちょっとした人気となった。そんな山田とコンピュータに没頭したのが川島優志。川島は好奇心旺盛、大学を突然辞め、渡米した。卒業の翌年、山田は1人で起業することを決め「ウノウ」を設立。しかし6年の間、めぼしい成果を出せないまま20代が終わった。2008年、アメリカの24歳が率いるフェイスブックが日本に上陸。世界はたった1つのアイデアで変わることがまた1つ証明された。2009年、山田がリリースした「まちつく!」がヒットした。そしてアメリカのゲーム大手「zynga」が山田のアイデアを会社ごと買収したいと持ちかけてきた。山田は買収を受け入れた。しかし子会社となって間もなく、本社はゲーム開発の中止を伝えてきた。数十億円の売却益を得たのと引き換えに夢が打ち砕かれた。山田は退社し仲間も失った。川島優志だけはたびたび連絡をくれていたという。川島はデザイナーとしてグーグルに入社するなど躍動していた。夢を失った山田は、半年かけて5大陸を巡る旅に出た。ボリビアを旅したとき子どもが荷物運びを手伝っていた。それを見た山田は、自分は恵まれている。恵まれたお前は何もしないのか?と問われた気がしたと感じたという。帰国後、スマートホンが爆発的に普及。山田は自由に物を出品し売り買いできる場をスマホ上に作れないのかというアイデアが浮かんだ。そんな山田に賛同したのが2人いた。石塚亮はアメリカで育ち携帯のゲーム開発で日本進出を目指した。その時、親身になり関係者を紹介したのが山田だった。石塚は事業に失敗したがもう一度挑むなら山田と組みたいと思っていた。もう1人は富島寛。富島は動画検索事業を立ち上げたが収益が出せず撤退。富島は山田のアイデアに惹かれ参加を決めた。「どうせやるなら舞台は世界」これが3人の合言葉になった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月28日放送 1:28 - 2:28 TBS
毒吐きデトックスナイトドクジョは今夜もくだを巻く
正直見ていられない他人の幸せ自慢というテーマでトーク。大島麻衣が、顔を隠してまでSNSに家族写真を載せるなと語った。インスタグラムのストーリー機能を紹介。北乃きいが、マタニティフォトについて語った。紅しょうがが、恋人がいる女性ファンからのDMについて語った。稲田が、最近の結婚式はやることが多いと語った。

2025年4月27日放送 20:54 - 23:09 フジテレビ
Mr.サンデー(誕生から20年 YouTubeが変えた世界)
YouTube創業者のひとりジョード・カリム。2005年、米決済大手PayPalの同僚と共に、動画共有サービスYouTubeを立ち上げた。誕生から20年、YouTubeが変えた世界を紐解く。2007年5月、投稿した動画の再生数などに応じて広告収入が得られるようになると、YouTuberという新たな職業が誕生。頂点に君臨するのが米・MrBeast。チャンネル登[…続きを読む]

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