ガマが消える前に 埋もれゆく戦争の記憶

2025年8月18日放送 1:08 - 1:16 日本テレビ
NNNドキュメント’25 (NNNドキュメント’25)

東京・日本橋の多くの人が行き交う橋の一部に東京大空襲の痕跡が今も残っている。焼夷弾の焼け跡、そして弾痕があった。太平洋戦争末期、米軍による空襲が日本全土を襲った。都心の公園にあるイチョウの木には空襲の火災で燃えた跡が刻まれている。空襲の被害を受けた三鷹市では戦時中の遺品を展示している他、当時の証言をデジタルで保存する取り組みを行っている。少なくなる証言者、それは静かに戦争を語るガマもまた同じである。清水さんが向かったのは、10年前に訪れたことがある南城市のガマであった。10年の間に緑が生い茂り、どこにあるのか見つけることができなかった。藪の中を歩き回ることおよそ30分、思いがけず見つけたガマがあった。元々この一帯のガマには周辺住民が避難していたが、戦局の悪化により住民たちは役場の指示で別の場所へ移動しその後は旧日本軍の休養所として使用されていた。清水さんは遺品や構造を全て記録として残している。今後ガマがどのように形を変えるのか比較しようとしているのである。岩の壁をつたい別の出口へ行くと探していたガマがあったが、崩落により10年前とは大きく形が変わっていた。かつてガマでは戦没者のために慰霊祭が行われていたが、関係者の高齢化により訪れる人は減少した。そのため手入れがされず隔絶された場所になってしまっていた。さらに開発や宅地造成でガマの閉鎖が相次いでいる。
沖縄・糸満市にある轟の壕は県職員や住民など一時は500人以上避難していたとされるガマである。平和学習のために現地ツアーが行われていたが、近年は内部の崩落が激しく入ることはできなかった。そこで糸満市は壕内の様子を360度カメラで撮影しバーチャルツアーが行えるよう、ホームページで公開している。戦争遺跡を残すための1つには文化財や史跡に指定し、補修費をかけて管理することがある。しかし現状は思うように進んでいないと戦争遺跡を研究する安藤教授は指摘する。


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