カンブリア宮殿 カンブリア宮殿 マクドナルド出身社長のカフェ再生術
その後アメリカから帰国し再び日本マクドナルドで働き始めた友成。その転機には日本マクドナルドの創業者で当時の社長の藤田田さんの指揮のもと、2001年にイギリスのサンドイッチチェーンのプレタ・マンジェと契約を結び日本で展開することに。その社長に任命されたのは38歳の友成。有機野菜をうたったプレタ・マンジェのサンドイッチは日本でも話題となり、13店舗に拡大。マクドナルド時代に同僚だった紫関社長はマーケット作りに苦労したのでは?と答えた。しかし当時の映像で友成は強気のコメントをしていた。しかし予想外の事態が発生し、アメリカのマクドナルドが絶不調になり、ハンバーガー事業以外撤退となり、日本プレタ・マンジェもその対象となった。転籍したのに冗談ではないとマクドナルドを離れたという。その後モスフードサービスのグループ会社の会長などを勤めたのち、珈琲館の再建に乗り出した。以来、友成は全国に180軒以上あるフランチャイズ店を巡り、オーナー達の意見に耳を傾ける。こうして珈琲館は以前とは様相が変わった。