- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
さいたま市にある珈琲館は1970年に創業した国内では老舗のカフェチェーン。その名の通りコーヒーを売りに50年続いてきた。珈琲館がここ最近変化を遂げている。住宅街にある珈琲館 南浦和店ではランチ前ですでに満席、すると、焼きたてホワイトグラタンパンはチキンの入ったソースを詰めて焼き上げた一品。パンと一緒に味わうとたまらないという。多くのカフェチェーンではフードメニューはセントラルキッチンで温めて提供されるが珈琲館では店内調理を殆どの店内で手作り。何度もテスト販売を繰り返し自身のあるメニューに刷新した。炭火焼きビーフとしめじの贅沢ボロネーゼはひき肉ではなく、炭火で香ばしく焼き上げた牛肉を使用し食感と食べごたえを追い出す。さらに、創業した頃からあったホットケーキをより美味しくするためにほぼ全ての店舗に専用の銅板を導入。熱伝導率が劇的にアップし生地の水分を飛ばさずにむらなく焼き上げることが可能。トラディショナル・ホットケーキ ホイップクリーム付きは中はしっとりしていて、また限定メニューも販売している。スフレタイプのふわふわ食感が主流の中で昔ながらのホットケーキが大人気に。さらに看板のコーヒーメニューも人気。他のチェーン店ではコーヒー豆は5、6種類だが珈琲館では11種類から選ぶことが出来評判に。しかも、ほとんどのカフェチェーン店では豆をあらかじめ挽いておくが珈琲館では風味を損なわないようにオーダお後に豆を挽いて一杯ずつ丁寧に抽出するコーヒーにこだわっている。熾烈なカフェ業界をリードしているのはスターバックス、ドトールコーヒーショップ、コメダ珈琲店。今珈琲館は、中高年層を中心とした新たな顧客を引き込んでいる。
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地域密着型の店舗だけでなく去年には東京・銀座にも初出店。珈琲館 銀座中央通り二丁目店は瑜伽な喫茶店として評判をよんでいる。これらの甲斐もあり、珈琲館の売上はここ4年でアップ。コロナ前より140%に。その珈琲館を運営するのは東京・芝大門にある企業の C-United。社員は1000人程でそもそも珈琲館は苦難の歴史を歩んできた。個人オーナーの店からスタートしチェーン店展開で拡大していった。外資系やセルフ業態店の台頭で経営難から2008年にUCCグループの子会社に。それでも業績は帯悩み2018年に投資会社に事業譲渡。現在の C-Unitedが経営を引き受けた。苦境に陥ったカフェチェーンを一人の男が蘇らせた。
C-United社長の友成勇樹はもともと日本マクドナルド出身で、アメリカの本部でマクドナルド幹部候補生を指導し、後にグループ会社の社長にのぼりつめた。その信念は成功してうまくいっている事業をほしいとは思わないという。うまくいっていない事業をなんとかしてあげたい、なんとかできるのでは?と思うという。これまでに、カフェチェーン店の経営術では業績低迷のカフェチェーンを次々に買収してきた。珈琲館を成功させた友成は次に手掛けたのはカフェ・ベローチェ。それまで喫煙席が充実していた店だったが業績が伸び悩んでいた上に、屋内での喫煙を原則禁止にする法律もでき、客足が大幅に鈍っていた。しかし友成はポテンシャルを評価し買収に踏み聞きった。しかし、その直後に新型コロナウイルスを猛威を振るい売上の見通しが全くたたない事態に。このまま事業を継続するか規模を縮小すべきか。しかし友成には称賛が見えていたという。その来店客はビジネスパーソン。仕事の合間に立ち寄ったりデスクワークをしたい人達のニーズがある。そこで店内にはコンセントを増設。テーブルとイスを低いものに変えることで作業しやすいように。またビジネス客に向けてフードメニューも刷新。また片手で食べられるメニューにし、趣向を凝らしたオリジナルのサンドなどを販売。またサンドイッチは9種類に増やし店内調理に。忙しいビジネスパーソン向けのメニューを充実させた。こうしてニーズを掴み客単価をアップ。
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コロナが収束しきっていない2020年には新たな赤字カフェ店の再生に打って出た。全国に180店舗展開しているカフェ・ド・クリエは、2022年まではサッポログループが運営していたが長らく業績不振で手放した所、 C-Unitedが名乗りを上げた。現在の店舗は主に女性客に盛況となっていたが、もともと女性客が多かったことに目をつけた友成はそれを徹底的に伸ばす戦略に。キッチンではブルーベリー、バナナなどのフルーツを使ったスムージーが朝食や軽食のかわりになると大人気。
カフェ・ド・クリエでは女性客が多いともあって健康を意識したメニューを強化したことで連日満席になり、経営を巻き返し客のニーズをとことん突き詰めてカフェチェーンを立て直した。友成は人材育成で大切にしていることは従業員同士のビジネスコミュニケーションを教えること。2年前には社内にある仕組みを導入。それが、珈琲大学。アルバイトやスーパーバイザーなど職種ごとに独自のプログラムでトレーニングする社内の教育機関。例に店長の育成プログラムではアルバイトからの信頼を築くための戦略に、打ち解けること、立ち入らないこと。他にも上司と部下の友情は良いかどうか?など微妙な人間関係にあえて踏み込んでまで教育。そして珈琲の技術なども指導しているがその役職は人事部。この事業は現場のスタッフだけでなく全ての社員が受けている。コーヒーのことを知っているとその採用面でコミュニケーションが図れるという。埋もれたカフェチェーンを再生し、熾烈なカフェ業界で奮闘するC-United。3つのブランドをあわせ今や業界5位に。友成が目指すのは50年続いたブランドを後50年伸ばすための分岐点に立っていて、現代にアレンジして成長していかなければならないと答えた。
友成は当時の珈琲館について、各店ごとに違うメニューを出していたりなど本部としてはこのメニューを看板にして出しているのはお客に申し訳ないという部分があったという。またカフェ・ド・クリエ、カフェ・ベローチェのコロナ禍の買収については、ちょうどコロナが激しくなっていた時で、3ヶ月後にはこのままでは資金繰りがまわらないという所まで行ったというが毎日のように財務部長と銀行の残高を確認していたという。またカフェ業界のトップとの対抗については飲食業はまだまだ弱い立場にある産業なので全体が日本飲食業株式会社のようなイメージがあり、戦おうとも思っていないと答えた。また教育制度の珈琲大学についてはマクドナルドにいた時は専門教育部門にいたが珈琲大学はマクドナルドと同じようなことに基づいてプログラム開発として入れたという。またアルバイトに対し打ち解けるが立ち入らないについては、相手を尊重し相手の意見を聞いているだけではダメだが、実績が伴わなければ信頼に結びつかないと答えた。
友成は1963年に東京・文京区に生まれ、飲食店を営む両親のもとに生まれたという。その店には各界のスターが訪れていたという。しかし、家業が廃業し両親は離婚した。母一人、子一人の生活は食べるのも困るようになり親戚にわけてもらうことに。転機になったのは高校時代。アルバイトをしていた飲食店の店長からもらった一冊の本のレストランマネジメント。飲食店経営のノウハウが事細かにかかれた本。高校生だった友成は無我夢中で読み、外食産業で生きていく事を決意した。20歳の時に夜間大学に通いながら、自らの右で融資をうけ20歳の時に新宿でレストランを開業した。自家製ハンバーグが評判を呼び、それなりに繁盛したが夜は客のニーズに合わず閑古鳥。銀行からの借入金は2000万円に膨れ上がっていた。その分岐点は、大学4年になって飲食店経営を続けるか悩んでいた。友成はピンチに鈍感なところがあり、それが生き延びることのできた一番の要因だという。
新宿でのレストラン経営を諦めた友成は就職を決断。選んだ会社が日本マクドナルド。ここでのし上がり2000万円の借金を返そうと意気込んだが、しかし初任給は低く、借金を返すのに給料はほとんど残らず、生活の為に消費者金融に借金をしていたという。それでも死に物狂いで必死に働き、10年以上かかるという店長に3年で昇格。30歳でスーパーバイザーに。さらなるチャンスが訪れたのは。アメリカ本社の中枢部分に日本人がいないということでアメリカから日本人がほしいと言われ、英語もできたこともあり自分が行くことになったという。命じられた職場はハンバーガー大学。マクドナルドが創設した、幹部教育の総本山。当時世界中のマクドナルドから幹部候補生たちが研修に訪れて友成がその指導役に抜擢された。しかしその洗礼には、新たな生徒たちの歓迎会で自己紹介をすると生徒たちが若く日本人ということに大ブーイングをしたという。
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マクドナルドから幹部候補生たちが研修に訪れて友成がその指導役に抜擢された。新たな生徒たちの歓迎会で自己紹介をすると生徒たちが若く日本人ということに大ブーイングをしたという。しかし友成は誠意と尽くした指導で生徒たちの心を動かし信頼を勝ち取った。友成は勉強もし、借金を返していたが15年間は借金を返す生活を送っていたという。
その後アメリカから帰国し再び日本マクドナルドで働き始めた友成。その転機には日本マクドナルドの創業者で当時の社長の藤田田さんの指揮のもと、2001年にイギリスのサンドイッチチェーンのプレタ・マンジェと契約を結び日本で展開することに。その社長に任命されたのは38歳の友成。有機野菜をうたったプレタ・マンジェのサンドイッチは日本でも話題となり、13店舗に拡大。マクドナルド時代に同僚だった紫関社長はマーケット作りに苦労したのでは?と答えた。しかし当時の映像で友成は強気のコメントをしていた。しかし予想外の事態が発生し、アメリカのマクドナルドが絶不調になり、ハンバーガー事業以外撤退となり、日本プレタ・マンジェもその対象となった。転籍したのに冗談ではないとマクドナルドを離れたという。その後モスフードサービスのグループ会社の会長などを勤めたのち、珈琲館の再建に乗り出した。以来、友成は全国に180軒以上あるフランチャイズ店を巡り、オーナー達の意見に耳を傾ける。こうして珈琲館は以前とは様相が変わった。
日本マクドナルドの創業者の藤田田について友成は藤田氏がシカゴでお客を招く際にレストランに連れて行くが、普通の行きつけのうどん屋に招待していたという。そこにリムジンにのったお客が毛皮のロングコートで着ていたがそこは立ち食いのうどん屋のような場所だったが藤田氏がそれでも気にしていなかったという。
友成は京都で新たな構想にむけ動き出していた。京都に錦市場は多くのインバウンド客が訪れる人気の観光地。そのそばに工事中の建物が。店内95坪の大型店は珈琲館では初の試み。外国人観光客の多いこの場所をテストの場にして海外に打って出ようとしていた。これまで以上に珈琲のクオリティを高めようと店内には焙煎所も設置。内装には石を薄い板上に加工した和モダンの特別な素材に。日本流の喫茶店にとことん拘るという。
友成が今のカフェ業界で気になっていることを語る。
友成が今のカフェ業界について若い人たちは20代30代で独立し、感じのいいカフェを作っているがそれはいいがちゃんと儲けないとコーヒーだけ売っても売上がそこまでいいわけでないので、儲けがない状態が続くことに人生がどうなのか心配で、儲かる仕組みを考えてほしいと答え儲かる仕組みは客の満足につながると語った。
村上は今日の総括に裕福な少年時代、だが小5年生の時に家業が倒産、両親が離婚。外食でリベンジを果たそうと、大学2年生のとき新宿2丁目にレストランを開業。しかし客層がわからず、2年で廃業し、2000万円と言う借金が残る。日本マクドナルドに就職。25歳という異例の若さで店長に。30歳でスーパーバイザーに、34歳で渡米。自費でMBAを取得。借金を完済したのは37歳。「根っからの明るい性格」と友成さんは語ったが、大学2年で負った借金は重かったと思う。見事に飲食で返した。「カフェ=地域の安らぎ」を取り戻そうとしている。とした。
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カンブリア宮殿の次回予告。