- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
11月は七五三の季節。亀戸天神社にも大勢の人が集まった。神社近くの割烹料理店の亀戸升本が今夜の主役。会席料理が楽しめ、亀戸大根あさり鍋は江戸東京野菜の一つの亀戸大根と、あさりをつかったこの周辺の郷土料理。この店ではまた割烹料理の技をいかした弁当が人気を呼んでいる。そのお弁当の華だよりは野菜や魚などが入っていてだし巻き玉子が人気。また升本の弁当はデパ地下でも人気で、伊勢丹にある升本の売場では開店直後から、次々と弁当が売れていき昼前になると品切れとなる物も。一方で大丸東京店のお弁当ストリートでは1000種類のお弁当が並ぶ激戦区。そんな中升本のすみだ川あさり飯は売上第6位。
2023年の持ち帰りの弁当や、惣菜の市場規模はおよそ11兆円。コロナ禍以降に多くの企業がこの市場に参入し競争は激しさを増している。升本の売上はコロナがの落ち込みを盛り返し22億円。多くのファンを掴んでいる。升本は亀戸で長く料理店を営んでいる。升本フーズの社長は塚本光伸。その前身は明治後半の1905年に創業した酒屋が始まり。焼け野原となった戦後に、大衆居酒屋へと変身。高度成長期には大衆割烹に姿を変えながら、亀戸で商いを続けてきた。升本が弁当事業を始めたのは、2001年と比較的遅い。百貨店では新宿伊勢丹や大丸東京など4店舗で直営店を運営。郊外にもいくつか出店しているが店舗数はけっして多くない。そこには大手とは違った中小企業ならではの戦略が隠されている。升本の弁当工場では、割烹料理店ならではの技を随所に取り入れている。7種類の野菜が入った煮物は食材ごとに煮方や味付けを変化させている。たけのこは肌の白さが残るように薄い色で。逆にれんこんは色を付けるために、たまり醤油を使うにんじんは素材の甘みを活かすために醤油は控えめに。別々に炊いた食材を一つに盛り付ける炊合せという手の込んだ調理法を行っている。仕入れ担当は弁当を作ってくれる場所探しに苦労したという。
出汁が染み出る卵焼きは1本1本職人が手作りしている。多い日は5000本焼くという。ポイントは、あえて中まで火を通さないこと。実は焼いた後にスチームで蒸すという工程を加えている。さらにかまぼこなどの練り物まで手作りしている。そこに使うのは「たまもと」と呼ばれる隠しアイテム。卵黄にサラダ油を加え混ぜたもので練り物などに使用されている。このたまもとと片栗粉をつなぎに使うことでぷりっとした食感が生まれる。こうした手間ひまをかけ品質の差別化を行っている。さらに升本のすべての弁当に、欠かさずついているものは亀戸大根のたまり漬け。亀戸大根は、江戸時代の後期から亀戸の香取神社周辺で栽培は始まったとされている。長さは30センチほどと小ぶりで身も細いのが特徴。52種類ある江戸東京野菜だが、普段目にするのはほんの一握り。塚本はその一つの亀戸大根を今に残そうとしている。升本で使用している大根を栽培しているのは中代農園。この農園では、冬場の栽培は亀戸大根のみ。11月頃から4月まで月におよそ2000本を収穫。そのすべてを升本が買い取っている。農家にとっては一定の値段で買い取ってもらえば収入も安定する。升本も、江戸の伝統野菜を使用することで店の看板としてアピールできる。
麻布十番にある高級スーパーのビオセボンはフランス発のスーパーで有機栽培の野菜や、無添加の加工食品など健康志向の商品を扱っている。そんな店に升本の弁当も。おろしているのは、肉や魚、白砂糖を使用しない玄米や野菜中心の弁当。コロナ禍を機に健康に気を使う人が増えている。そんな時にいきついたのが、升本。ビオセボンの要望では玄米や有機野菜を使用し、動物性の食材などを使用しないということだった。そんな要望でも升本なら和食の技で応えることができる。動物性のかつおだしを使用せずに昆布出しで炊き上げたにんじんとそこにえのきを乾燥させて粉にしたもの。鰹節によくにた風味がするためにこれを加えることで味い深みがでる。升本にはこの手の和食の引き出しがいっぱいあるためにビオセボンの要望に無理なく対応できた。こうした弱者の戦略で、22億円の売上の内8割近くを弁当事業で稼ぎ出している。
スタジオには亀戸大根が登場。塚本はきめ細かいのは特徴で煮ると煮くずれがしないのが特徴だという。また売上22億円を記録したがここまで成長すると思っていたか?について塚本は想像以上だったいう。手間暇をかけて弁当を仕込んでいる升本だが大手は自分たちよりも多く生産しなければいけないとなるとその分なにか絞る必要がでてくる。そのために大手ではやらないことに特化しそれを戦略にしているという。またビオセボンで販売してるマクロビオティックという弁当は、20年以上前から研究していたと答えた。
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江東区の亀戸にある亀戸升本 本店。その夜は早く、ラストオーダーは7時半で閉店は9時。従業員の暮らしを充実させるために塚本が導入した。塚本は1951年に亀戸で生まれた。戦争で焼けた酒屋を両親が居酒屋にかえて切り盛りしていたが幼い頃の思い出は、朝から晩まで働き詰めの両親の姿だった。
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升本フーズの社長の塚本は、幼い頃家業の居酒屋が大嫌いだった。両親が働き詰めで一緒に夕食を食べた記憶がないという。それで特別豊かでもなかったという。その状況に嫌気がさした塚本は高校卒業後には家で同然で大阪へ。しかしほどなくして父ががんで危篤になると後を頼むという最期の言葉に塚本はやらないと言ったという。周囲から説得され、嫌々家業を手伝うことになった塚本は、30代になると店を母と姉に任せて勝手に不動産事業の会社を設立し大きな利益をあげた。しかしバブル経済の崩壊で、塚本も事業に失敗し4億円の借金を背負ってしまった。そんなとき知人の紹介で仕事が舞い込んだ。それは結婚式場などで有名な目黒雅叙園で社員食堂を運営する仕事だった。最悪の状況を嫌いだった飲食業で救われた。そして大きな転機が訪れたのは45歳のとき。当時、箱根に開館したばかりの箱根ガラスの森美術館を訪れた時のこと、どのスタッフもイキイキとして働く姿に衝撃を受けたが実は、美術館を運営していたのは飲食業をメインとするうかいという会社。感銘を受けた塚本はその創業者の鵜飼貞男氏に会いたいと手紙を送った。願いが叶い面会すると鵜飼氏は一通の手紙を差し出した。それは美術館を訪れた人の手紙だったという。生活苦にあえぎ生きることを諦めた夫婦が最後の思い出にと美術館を訪れた時、その幻想的な光景に心を奪われ人生をやり直そうと決意しその後も貧しいながら幸せに生活しているという。鵜飼氏は塚本に利は喜びの陰にありと、人を喜ばせることは大きな価値になると伝えたという。客を幸せにするにはまず、従業員を幸せにするべきだと考えた。
飲食業は、長時間労働で休みが少なく給料は安いが当たり前だった。そんな状況をかえるために塚本は従業員がしっかり休めるように土日が休みの社員食堂の事業に力をいれ、更に忙しく料理人が休めていなかった新宿や銀座などの料理店を閉めて工場で決まった時間に働ける弁当事業を新たに始めた。皆以前より家族と過ごす時間が増えて給料も良くなったという。料理長の一人の廣瀬は、店舗での仕事とは違ったやりがいを見つけていた。塚本はうかいで働く従業員はイキイキとしていて銀行をやめてうかいで働くという人もいたという。また利は喜びの陰にありという言葉を掲げていたが、来た人を喜ばせることができれば商売は上手く行くという意味で、一度しかない人生でつらく働いていたら悲劇だと答え、幸せと感じる従業員がいることが会社の存在価値だという。
升本で2回も送別会を開いてもらったのは京都の料亭などで働いていた星野。そのやったこととは?
升本フーズが、コロナ禍を機に始めたのは冷凍食品事業。看板メニューを家庭でも手軽に楽しめるようにと始めた。他にも8種類の和漢食材を使用した鶏だしベースの玄米のおかゆ。さらに高級などんこというしいたけを使用した春雨麺。苦いというイメージの薬膳料理を和食の技術で食べやすく仕上げた冷凍シリーズ。これらの商品を開発したのが2回も升本に出戻ってきた星野。2回目に戻ってきた時に塚本から薬膳料理をやってみないかと提案された。期待に応えるために一から猛勉強。今では冷凍事業の厨房責任者をつとめている。塚本は冷凍食品にも力を入れた理由に、弁当は消費時間が短く、冷凍にしておけばストックが効くという。また出戻りしてきた人は素晴らしいスキルを持っていると答え、今まやったことのないジャンルをやらせるとのめり込んでやっていくと答えた。
塚本は出社して日課にしているのが顧客アンケートに目を通すこと。全てに目を通し返信しているがその時は直筆で一言添える。
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村上は今日の総括に塚本さんは、幼いころ、飲食業に嫌悪感を抱いた。高校卒業後、家で同然で大阪に行き「馬賊になる」と言って中国語を学んだりした。それから30年、出会いがあった。「うかいグループ」感動して社長に手紙を出す。「10分だけなら」若い人が一生懸命働いていた。すでい40代半ばを超えて、初めて飲食業の「光」を目にした。「あなたのところへ来た人を来たときよりも幸せにして帰しなさい」客の喜びにできたとき、飲食業を営む者には、他の事業にはない「光」が差す。とした。
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カンブリア宮殿の次回予告。