吉高由里子 祖母の故郷広島へ 被爆者の”記憶”描く高校生

2025年9月9日放送 16:22 - 16:34 日本テレビ
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先月6日、80回目の“原爆の日”。広島を訪れた俳優・吉高由里子さん。80年前、祖母が広島で被爆。2度と同じ悲劇を経験しないため自分たちに何ができるのか。この日、平和記念公園で開かれた絵画展で展示されていたのは原爆の惨状を描いた油絵。描いたのは地元・広島の高校生たちだ。この約2か月前、吉高さんは高校生たちが通う学校・広島市立基町高等学校を訪ねた。吉高さんがそこで目の当たりにしたのが80年前、原爆が落とされた町の生々しい惨状を描いた原爆の絵。生徒の側に座ったのは被爆者の脇舛友子さん。原爆の絵は被爆者1人1人の記憶の中にしかない光景を生徒に直接伝えながら共同作業で形にしていく取り組み。参加するのは美術を専門に学ぶ「創造表現コース」の生徒たちだ。全身に火傷を負った2人の男性はようやく水を飲めた有り難さから手を合わせる様子を描いたものや、学校が倒壊し下敷きになった友人を必死に助けようとする子どもたちなどを描いている。高校生が描く脇舛さんの記憶が被爆した人たちの姿を見て泣き出してしまった当時3歳の脇舛さん。広島駅に向かう途中、原爆で列車が止まり歩いて駅まで向かっていたときの記憶だ。制作を始めて約8か月、脇舛さんと10回以上打ち合わせを重ねたという。脇舛さんの記憶は他にも描かれている。先程の絵から約3時間後、避難した駅舎での記憶を描いた1枚はケガをして座る人たち、外には全身に火傷を負い座り込む人たちの姿もある。そして2人の女性の間で安堵した表情の脇舛さん。ケガをしていない婦人が「お嬢ちゃんよく歩いてきたね ここにお座り」と言ってくれた場面とのこと。高校生たちの手で形になっていく記憶の中の光景。脇舛さんは「フィルムにないものを描いてもらうのはできないこと。高校生でないとできない気もする。」などと話す。この18年間で高校生たちと被爆者たちが残した原爆の絵は222点。
今回初めて原爆の絵の製作に参加した被爆者の内藤愼吾さんは広島市で7人家族の三男として誕生。80年前、内藤さんは疎開していたが、父が当時の満州に出張することが決まり、久しぶりに家族全員が自宅に集まったという。その翌日の朝、原爆が投下された。今回絵として残す内藤さんの記憶は自宅から約2キロ離れた救護所へ目が見えなくなった父親を棒で引きながら6時間かけて歩いたというもの。2人を先導する母・寿恵子さんが両脇に抱えているのは内藤さんの妹と弟だが、このときすでに息絶えていたという。父親もまもなく亡くなり7人いた家族は母親と内藤さんの2人だけになった。そして原爆投下の8年後、母親も被爆の後遺症とみられる症状で息を引き取った。そして先月6日、原爆の日。高校生たちが思いを込めた原爆の絵が一般公開された。吉高さんは「今までつなげてくれた先人たちの思いやのこしたものを次の世代につなげていく。彼女たちの伝えていく気持ちの強さを感じた。」などと話した。今年完成した原爆の絵は年末に平和公園内の国際会議場再び展示される予定とのこと。


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