戦争を語らずに… ひ孫記者が辿る「戦艦武蔵」砲術長

2025年11月14日放送 0:10 - 0:21 TBS
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永橋風香記者が曽祖父が戦艦武蔵の初代砲術長だったという。向かったのは広島県の大崎上島町。戦艦武蔵はヤマトと並ぶ世界最大の戦艦で、海軍大佐の永橋爲茂は初代砲術長だったが今から60年前に69歳で亡くなったという。海軍の幹部だった曽祖父は戦後は家族かたも離れてこの島でひっそりと暮らし、石灰を掘る会社で働いた。そこで祖父の姉の大貫和子さんを訪ねたが、戦争のことは語ってはくれなかったという。そのあとやってきたのは広島県江田島市。海上自衛隊の自衛隊幹部候補生学校はかつて海軍兵学校で永橋記者の曽祖父もここで学んでいたという。太平洋戦争の23年前に入学した曽祖父だが、その卒業写真も残っていた。全国からエリートが集まった海軍兵学校。その曽祖父のアルバムには笑顔の写真が。卒業直後の練習航海では、エジプトのピラミッドの前でラクダに乗って記念撮影するなど少数精鋭的教育をしていたという。しかし卒業から20年後に日本がハワイの真珠湾を攻撃。太平洋戦争がスタートした。曽祖父は海軍砲術学校の教官をつとめ若い兵士の育成にあたった。その頃のことを覚えているという永橋爲親さんは曽祖父の次男で、終戦時は15歳だった。曽祖父と部下の話には、部下想いな人だったという。 その部下たちを待っていたのは悲劇的な運命だった。戦況は極度に悪化していき、ミッドウェー海戦で亡くなった人たちが多い可能性があると専門家は答える。1944年にはレイテ沖海戦が発生。曽祖父が初代砲術長をつとめた戦艦武蔵が沈没した。死者は1023人で自ら育て抜擢した若者が大勢犠牲になった。その頃曽祖父は船をおりて家族で江田島に暮らし、母校海軍兵学校で教官をしていた。戦艦武蔵がの沈没の知らせを聞いた曽祖父は部屋からすすり泣くような声が聞こえ、見たことのない姿で泣いていたという。曽祖父は戦後家族から離れて瀬戸内海の島でひっそりと暮らし始めた。


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