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「ミッドウェー海戦」 のテレビ露出情報

永橋風香記者が曽祖父が戦艦武蔵の初代砲術長だったという。向かったのは広島県の大崎上島町。戦艦武蔵はヤマトと並ぶ世界最大の戦艦で、海軍大佐の永橋爲茂は初代砲術長だったが今から60年前に69歳で亡くなったという。海軍の幹部だった曽祖父は戦後は家族かたも離れてこの島でひっそりと暮らし、石灰を掘る会社で働いた。そこで祖父の姉の大貫和子さんを訪ねたが、戦争のことは語ってはくれなかったという。そのあとやってきたのは広島県江田島市。海上自衛隊の自衛隊幹部候補生学校はかつて海軍兵学校で永橋記者の曽祖父もここで学んでいたという。太平洋戦争の23年前に入学した曽祖父だが、その卒業写真も残っていた。全国からエリートが集まった海軍兵学校。その曽祖父のアルバムには笑顔の写真が。卒業直後の練習航海では、エジプトのピラミッドの前でラクダに乗って記念撮影するなど少数精鋭的教育をしていたという。しかし卒業から20年後に日本がハワイの真珠湾を攻撃。太平洋戦争がスタートした。曽祖父は海軍砲術学校の教官をつとめ若い兵士の育成にあたった。その頃のことを覚えているという永橋爲親さんは曽祖父の次男で、終戦時は15歳だった。曽祖父と部下の話には、部下想いな人だったという。 その部下たちを待っていたのは悲劇的な運命だった。戦況は極度に悪化していき、ミッドウェー海戦で亡くなった人たちが多い可能性があると専門家は答える。1944年にはレイテ沖海戦が発生。曽祖父が初代砲術長をつとめた戦艦武蔵が沈没した。死者は1023人で自ら育て抜擢した若者が大勢犠牲になった。その頃曽祖父は船をおりて家族で江田島に暮らし、母校海軍兵学校で教官をしていた。戦艦武蔵がの沈没の知らせを聞いた曽祖父は部屋からすすり泣くような声が聞こえ、見たことのない姿で泣いていたという。曽祖父は戦後家族から離れて瀬戸内海の島でひっそりと暮らし始めた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月16日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰の戦後80年SP 日本の第二次世界大戦
1932年に日本は満州国を建国し、世界中から「侵略だ」と非難され孤立していた。ドイツでは1933年にヒトラー首相のナチス政権が誕生し、軍事力を強化するため国際連盟を脱退。ドイツと日本はソ連を警戒し、1936年に手を組んだ。1937年に日中戦争が開戦したがアメリカやイギリス、フランスソ連が中国の後ろ盾になったため、日本側では欧米への不満が高まっていった。193[…続きを読む]

2025年8月14日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
テレビのない時代、国民に戦争を伝えたのがラジオ、新聞、映画館で上映されていたニュース映画。ニュース映画は映像で何を国民に伝えていたのか。きょうとあすの2日間にわたって特集する。きょうは、太平洋戦争開戦直後の日本軍の快進撃。そして太平洋戦争の分水嶺となった1942年6月のミッドウェー海戦までを伝える。「日本ニュース」2号、55号などの映像は映画館で流れていた。[…続きを読む]

2025年8月13日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(戦後80年)
NHKアーカイブスの展示会では真珠湾攻撃に参加したパイロットなどの行動をVRで体験できる展覧会が開催中。VRはゴーグルとイヤホンでつけることで立体的な映像や音声を体験できる。中学校の様子では当時広島市の中学校で被爆した児玉光雄さんの体験を映像化した。同級生とはしゃいでいたその時に原爆が投下されたという。瓦礫から這い上がった兒玉さんは友人を助け出そうとしたが助[…続きを読む]

2025年8月12日放送 1:15 - 2:09 NHK総合
NHKスペシャル(オープニング)
80年前、太平洋戦争の時代。死に直面した人たちは最期の言葉を残した。1942年、ミッドウェー海戦では軍艦の壁に兵士が遺言を残した。今回は1942年、大日本帝国の分岐点をお送りする。

2025年7月5日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
長崎県の佐世保基地は、日本が保有するイージス艦8隻のうち4隻が配備されている海上自衛隊の拠点。基地を見下ろす海軍墓地には、遺骨とともに今も海中に沈んだままの軍艦の慰霊碑が並んでいる。現在のイージス艦の先代たちも、ここに眠っている。太平洋戦争のミッドウェー海戦で沈んだ旧日本海軍の空母「加賀」と「飛龍」の合同慰霊祭が行われた。「加賀」で戦死した兄を持つ女性は、「[…続きを読む]

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