news every. (ニュース)
福島県・郡山市にある「居酒屋 竹」。店の棚の奥から見つかった1本のボトルは店の常連だった西田敏行さんがその昔キープしていたボトルだった。突然の別れから2カ月たったころ、まるで思い出話に花を咲かせてくれ、と言わんばかりに偶然見つかったものだった。去年10月、76歳でこの世を去った西田敏行さん。西田さんの家族が住んだのは郡山市にある神社だった。ここは境内にある参集所。今は別の建物になってしまったが、この場所に中学校を卒業するまで住んでいたそう。宮司の鈴木紀光さんは西田さんとは幼なじみだった。山があって川があって、湖がある。そんな福島の大自然が西田さんの俳優としての個性を育んだのかもしれない。上京し、俳優として大成功しても帰りたくなるのが福島だった。郡山市で居酒屋を営む広瀬武子さんは西田さんとは同い年で、かれこれ30年以上の付き合い。「居酒屋 竹」は西田さん行きつけの店。地元の友人たちと飲んで食べて歌って。そして福島弁で語り合った。息抜きができる場所だった。お気に入りは武子さんが作る甘い卵焼き。一度間違えてしょっぱい卵焼きになってしまったときも西田さんは「うまい!」と頬張ってくれた。
福島を襲った未曾有の大災害。西田さんは2016年に出版した自伝で被災地を訪れたときの心境を「相馬を訪れたとき、こういう言い方はつらいんですが、もうね、廃墟がずうっっと続いているだけなんです。まさにゴーストタウン。」と綴っている。そんな相馬市で出会いがあった。老舗の陶器店に立ち寄った西田さんは相馬焼の湯飲みを手に取った。本で西田さんは「エールを送るつもりで相馬焼を買ったんですが、逆にパワーをいただいた気がします。」と綴っている。追い打ちをかけるように福島に暗い影を落としたのが原発事故。西田さんもやり場のない怒りを感じていた。福島県・双葉町に西田さんが残した復興へのメッセージがある。震災の教訓を伝える「東日本大震災・原子力災害伝承館」のオープニング映像のナレーションは西田さんが担当した。西田さんは原発事故のことにメッセージで「発電所の廃炉作業はまだまだ続いて、私が生きてるうちに見届けられっかどうか。無理かもしれねえな。」と触れている。西田さんが与えてくれたたくさんの愛は今も人々の心のなかで生き続けている。