事件の涙 (事件の涙)
桐島聡が関わることになる連続企業爆破事件の始まりは1974年の8月に起きた三菱重工爆破事件だ。石橋明人はこの事件で営業マンだった父を亡くしたという。桐島聡は事件を起こした東アジア反日武装戦線の中でただ一人逮捕されてなかったという。桐島聡は半世紀ぶりに確保されたが事件の詳細を語ることなく死去した。石橋明人は「ほんとうの意味での事件解決にはならない」と心情を語った。
桐島聡は広島県福山市で誕生した。1972年に都内の大学に入学し、当時会っていた幼馴染がその時の状況について語った。また同じグループに所属していた宇賀神寿一も当時の桐島聡について語り、爆弾テロで多くの死傷者が出てたことに戸惑っていたという。その後、東アジア反日武装戦線のメンバーが一斉に逮捕されて連続企業爆破事件は突如幕切れということになった。
桐島聡は父親から自首を勧められたが、それを拒否して逃亡生活を続けた。桐島聡は内田洋と名前を変えて藤沢市近辺にいたことがわかっている。内田洋は厳しい肉体労働だったが真面目に働いていたという。また内田洋が住んでいたアパートの中も、アパートの所有者の許可を得て見せてもらった。
内田洋には長年付き合いがあった友人がいた。それは藤沢市で鍼灸院をやっている好村甲太だ。付き合いは20年以上になったが、それでも内田洋は嘘をつきつづけたという。全国に指名手配された経験がある金廣志は逃亡生活について「自分の中で大きな矛盾が生まれる」と語った。
去年1月。70歳になった桐島聡は路上で倒れて近所の人に発見された。鎌倉市内の病院に救急搬送されてた。がんは進行しており、入院から11日後に自分が桐島聡だと告白した。そして2024年の1月29日に桐島聡は死亡した。遺体は自治体によって火葬されたが、親族は遺骨の引取を拒否したという。