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2004年、インドネシアのスマトラ島沖で発生した巨大地震により、東南アジア~アフリカまでの広い範囲に津波が押し寄せ、22万人以上もの死者・行方不明者が出た。タイではインドネシア・スリランカ・インドに次ぎ8,000人以上が犠牲となり、そのうち約4割が外国人だった。日本人も28人が亡くなり、いまも1人が行方不明となっている。「インド洋大津波」から20年、現地からの報告をお伝えする。
タイ南部・パンガー県から中継。「インド洋大津波」から20年のきょう、追悼式が行われた。朝から慰霊碑のある「津波メモリアルパーク」には、海外から来た遺族など多くの人が訪れ、涙を流すなどして大切な人を偲んでいた。パンガー県はタイでも津波の被害が最も大きかった場所で5,800人以上が犠牲となった。金記者の後ろにある「ナムケン村 津波博物館」は、津波の被害や教訓を次の世代にも引き継ごうと政府主導で2年前にオープンした。また、すぐ近くに展示されている船は20年前に津波で押し流されたもの。タイ南部は世界でも有数のビーチリゾートで、ここから車で2時間ほどのところには日本人にも人気のリゾート地・プーケットがある。プーケットでも日本人を含む外国人観光客など900人近くが犠牲になるなど大きな被害が出た。津波から20年が経ち、観光客が戻ってきた一方で記憶が薄れつつある。現地の様子を取材した。
タイ有数のリゾート地・プーケット。ビーチや街は多くの観光客で賑わっている。津波後、当局は被災地に避難場所を示す標識や防災サイレンなどを新たに設置し、防災対策を進めてきた。しかし標識を気に留める観光客はほとんどいない。地元の人からは不安の声があがっている。金さんは「地元の方々は忘れていないが、観光客はその場所に楽しみに来ているので、『楽しみに来ているので津波のことは考えていない』と観光客も話しているし、地元の人も『多分そうだろう』と話していました」と話した。「津波博物館」の内部を紹介。館内では津波後に見つかったものなど250点あまりが展示されている。館内には津波のメカニズムを学ぶコーナーもある。また、タイ語と英語で「津波が来た時にどのように助かったのか」ということを共有する展示物も。津波の教訓を引き継ぎたいと「私は泳げなかった。でも私が生き残れたのは屋根に登って冷静でいられたから」という言葉を残した男性を取材した。
マナッサク・ユアンケオさんに話を聞いた。津波は家の中まで入ってきたが、屋根裏に上がりなんとか一命を取り留めることができたという。しかし近くに住んでいた2人の姉や、自分の子供のようにかわいがっていた甥・姪は津波に飲み込まれて亡くなった。宿泊施設を経営する傍らマナッサクさんは観光客を「津波博物館」に案内するなど「あの日何が起きたのか」「どうすれば津波から命を守れるのか」など、自分の考えを伝えている。博物館の屋上は津波避難所にもなっており、マナッサクさんは「もし津波が来たら一刻も早く高い場所に逃げることが大切」と話す。マナッサクさんは「できるだけ多くの人に経験を伝えることが自分の務め」と考えている。金さんは博物館の屋上に来ている。博物館は海から約600メートル離れた場所にあり、周囲には住宅が点在しているが、津波発生時はこのあたりまで津波が押し寄せ、村全体の9割の住宅がなくなったとされている。博物館の担当者は「ここに展示されているものを見て気持ちが落ち込むことがあるかもしれません。ただ、自然災害はいつ・どこで起きてもおかしくないものだということをここで学び、忘れないでほしい」と話す。