- 出演者
- 栗原望 油井秀樹 酒井美帆
オープニング映像。
今日の放送内容を紹介。家族失い足を切断した女性は今。
22万人を超える死者・行方不明者を出した2004年12月26日のインド洋大津波からきょうで20年。16万人以上が犠牲となった最大の被災地であるインドネシアのアチェ州では遺族や住民たちが出席して追悼式典が行われ、犠牲者に祈りが捧げられた。式典で登壇したデリサフィトリラフマダニさん(27)は大津波で家族を失い自身も足を切断する大けがを負ったが被災者を代表し国際社会からの支援に感謝を述べた。NHKではこれまでデリサさんを継続的に取材、大津波により人生を翻弄された20年をみつめる。NHKがはじめてデリサさんを取材したのは被災の翌日、まだ7歳の時だった。奇跡的に救助されるも負傷した左足は十分な治療が受けられず切断せざるを得なかった。それから10年インドネシアは経済成長を続ける中被災地アチェも復興が進みかつてのにぎわいを取り戻していた。一方行政や各国からの支援は殆どが打ち切りとなりデリサさんの暮らしは厳しさを増していった。成長に伴い義足も合わなくなるが買い替える余裕がなく14歳まで使い続けた。苦難は更に続き18歳の時父親が病死。家計を支えるため奨学金で進学した大学も辞めざるをえなかった。彼女を支えたのは義母だった。今年2月地元最大手の銀行に採用が決まった。今新たな歩みを踏み出そうとしている。
インド洋大津波から20年。インドネシアでは大津波のあと国の防災対策が見直され、「国家防災庁」が設立された。省庁の垣根を超えた司令塔的な機能を持ち、災害発生時は住民向けの情報発信や被災地への支援などを担う。ASEANにも加盟各国が協力して支援に当たる枠組みが発足。専門家からは、災害の記憶の風化が進んでいることを危惧する声も。
英国のチャールズ国王恒例のクリスマスのメッセージ。今年は王室の住まいではなく元病院の礼拝堂から届けられた。その中で国王は自らのがんの治療について触れ、医療従事者に感謝を述べた。
オーストラリアでは真夏のビーチで人々がクリスマスを祝った。入院中の子供たちのもとにはスーパーヒーローやサンタクロースが訪れプレゼントを手渡した。
旧約聖書の十戒が刻まれた最古のものとされる石板がニューヨークでオークションにかけられた。1913年イスラエル南部で発見された石板は、かつて家の敷石として使われていた。
ドイツ北部の中学校でロボット教師の試験運用が行われた。先生の名前はキャプチャー。用意された授業内容だけでなく質問にも答えられる。
あすの放送は60分拡大版で宇野重規さん・市原麻衣子さんとともに選挙イヤーについて振り返っていく。民主主義の危機をめぐっては、結果の改ざんが続けば自由や民主主義が危機に瀕するのではないかといった声や、SNSやテレビなどに限らず本当の情報はどこにあるのか懐疑的になっているとの声などが聞かれている。
ベートーベンの「第九」は今年誕生から200年の記念の年となる。初演の地ウィーンで今年第九を披露したのが「ホワイトハンドコーラスNIPPON」、声だけでなく手話を基調にした表現でともに歌う取り組みが世界的に高く評価されている。そんな中200年前のベートーベンの思いに迫りたいとする合唱団で練習に励むろう者の信太美紗生さんを取材した。美紗さんは7年前から活動に参加、今年のウィーン奈ではアルトパートを担当、ウィーンではベートーベンの遺品にも触れた。第九を作曲したころのベートーベンは左耳に僅かな聴力が残る程度でその苦悩と挫折を第3楽章まで楽器だけで表現、第4楽章で合唱を入れ「すべての人はみな兄弟となる」「自由」「平等」をうたい上げた。直筆の第9の楽譜がユネスコ国連教育科学文化機関の記憶遺産にも指定されている。第9でベートーベンが伝えたかったことを美紗生さんは帰国後も表現を模索し続ける。新たに選んだのは手話で表現する詩のサインポエムという表現方法。合唱団の芸術監督コロンさんは自由表現のできる即興性の高いジャズピアニストとの舞台を提案、美紗生さんについて「聞こえる人とはまた違う感覚で音楽が存在していて耳で聞くだけじゃない全ての人の心をつなぐような音楽のエッセンス部分は世界を救う力があると私は信じている」と話した。練習はろう者で俳優の井崎哲也さんも交え行われた。2カ月ほどの成果をクリスマスイブに披露、コンサートにはアメリカなど10の国や地域の駐日大使などが出席、平和の祈りをともにした。美紗生さんの出番では全身でベートベンが第9で伝えたかった思いを表現、終了後美紗生さんは「挑戦の一日だった。今後も革新的なことを少しずつでも続けていきたい」などと語った。
“見える”第9をベートーベンに届けたいの番組宣伝。
1993年に貿易自由化を議論するGATT・ウルグアイラウンドで農業分野が実質妥結に至るまでの日米交渉の内容などが記録された外交文書が公開された。宮沢総理大臣とクリントン大統領との首脳会談でも、コメの市場開放を巡って意見が交わされている。1993年12月には細川政権のもと、日本のコメについて全面的な市場開放はしない一方、一定量の輸入を義務づける調整案がGATT側から示されて実質的に妥結した。
株・為替相場を伝えた。
国際報道の番組宣伝。
もうすぐ放送100年!大みそかスペシャルの番組宣伝。
「第75回NHK紅白歌合戦」の番組宣伝。
「にっぽん縦断こころ旅」の番組宣伝。
「ザ・穴場ツアー CATVネットワーク」の番組宣伝。