銀座 百年の記憶

2025年11月10日放送 22:04 - 22:44 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀 バタフライエフェクト)

明治初頭に日本初の鉄道が開通して、銀座は東京の新たな玄関口にり、最新の西洋文化が流れ込んで資生堂や木村家らが店を構えるようになった。銀座にある服部時計店の服部金太郎は31歳の頃に国産時計の製造に着手して大量生産に成功した。しかし大正12年に関東大震災があり、 銀座はほぼ全域が消失した。しかし銀座はそこから大胆に生まれ変わり、銀座通りの店も早々に店を開いた。震災の翌年には銀座初のデパートの松坂屋がオープンした。こうした銀座復興の顔になったのが女性たちだった。
1937年から日中戦争が始まると街の風景は変わっていき、戦争のプロパガンダの宣伝に利用されるようになった。そして1941年には太平洋戦争が開戦し、いろいろな場所で戦意高揚の垂れ幕が掲げられるようになった。1945年に銀座は空襲に遭い戦場になったという。そして連合国軍の占領が始まり、銀座の主役はアメリカ人になった。かろうじて残った建物は接収されて占領軍専用の商店になった。
「東京ブギウギ」を歌っていた笠置シヅ子は女手ひとつで子どもを育てており、日劇に通う女性たちと交流を深めていき、女性たちの再出発を支援した。1952年に講和条約がなり、占領軍は街から去った。そして服部時計店は和光と名前を変えて、時計盤も修復されて、銀座は流行の発信地になっていった。復興の進んでいく銀座で高級クラブが次々に開店していって、そこで川辺るみ子と上羽秀という2人のマダムが銀座でしのぎを削ったという。この場所で認められることが男の信用と地位を示す証になっていった。
復興した銀座は高度成長期になって、さらに姿を変えていった。1970年に銀座で歩行者天国が開始された。一方で銀座に住む人達は減っていった。1980年代のバブルになって多くの高額商品が売れていった。銀座の土地の価格も高騰して、投機の場になっていった。一方で相続税の高さによって老舗が店を手放すことが増えていった。また娯楽の中心がテレビになっていき、日本劇場も閉館することになり、最後の日には笠置シヅ子の姿もあった。
バブル崩壊後の銀座は、バブル景気を目当てに店を構えた金融機関などが撤退し、跡地には海外の高級ブランド店が入っていった。そして銀座の主役は海外から訪れる富裕層に変わっていった。一方で明治以来の老舗の資生堂や木村家も健在だ。


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