家、ついて行ってイイですか? 目指せ人生の金メダル!知られざるアスリートの家族ドラマSP
JR新小岩駅前で出会ったのは建築関係で働く諸川修さん(63歳)。家が近いためタクシー代ではなくコンビニ代をお支払いして家までついて行った。シュークリームやカフェラテなどを購入して551円だった。元寺尾の錣山部屋でマネジャーをやっていたという。寺尾は軽量ながら突っ張りと甘いマスクで人気を博し、引退後は錣山親方として角界を牽引した。自身は相撲の経験はなく、力士全般の体調や食事の管理、親方のスケジュール管理などをしていた。午後10時15分に帰宅。築30年の2DKで家賃は8万円。娘が2人いて、週1で学校が朝早くて泊まりに来るため大きなソファが置いてあった。娘からの手作り貯金箱が飾ってあった。寺尾とは若い時代から遊び仲間で飲みに行ったり、ディスコへ行ったりしていた。その縁で錣山部屋のマネジャーになったという。寺尾の形見の時計「BOUCHERON」を見せてくれた。寺尾との思い出や相撲部屋のスケジュールについて語ってくれた。相撲部屋には「ちゃんこ長」がいるが、錣山部屋にはおらず、諸川さんたちがちゃんこを担当していた。初日の前日は醤油ベースで鶏肉を使ったソップ鍋。相撲は土俵で手をつくと負けになるので、二足歩行の鶏をよく食べるという。親方はトマトが好きで洋風のトマトちゃんこは諸川さんのオリジナルだった。まかない料理の写真をスマホで見せてくれた。相撲部屋は昼・夜の2食と思われがちだが、夜食を食べるので1日3食だという。料理は兄弟子の力士たちに教えてもらった。錣山部屋の夜食「目玉焼きのナポリタン」を作ってくれ、取材ディレクターと一緒に食べた。錣山部屋の出世頭は阿炎。寺尾の突き押し相撲を継承し、白鵬に勝利したときや優勝したときは嬉しかったという。錣山親方は不整脈でもともと心臓が弱かったが、コロナ禍で衰え、亡くなる2か月ほど前から調子が悪くなり、2023年の12月17日に60歳で亡くなった。最後の会話は「何食べますか?うなぎにしますか?」だった。親方は両国の神田川のうなぎが大好きだったという。新小岩駅で諸川さんの家について行ったら…友人であり相棒であった元寺尾関への感謝の気持ちが聞けました。
