- 出演者
- 美輪明宏 村上信五(関ジャニ∞) 宮崎哲弥 丸山隆平(関ジャニ∞) 安田章大(関ジャニ∞) 中根舞美 高島礼子 成田悠輔 ゆいちゃみ
オープニング映像。
ゆいちゃみら出演者によるオープニングトーク。ゆいちゃみは「(小学2年生の時、名前を呼ばれたことで交通事故を免れたが、一緒にいた母は名前を呼んでいなかったことについて)私とママしかおらんかったから。そこの場所に。あの時、誰かが呼んでくれたっていう」などと話した。
成田悠輔が「国民1億人が”総カメラマン時代”…プライバシーをどう守る?」などについて解説。アメリカではミック・ジャガーなどのスターの豪邸がバスツアーの観光スポットに組み込まれていることもある。スターたちは自宅のまわりに木を植えるなどしてプライバシーを守っているという。また、昨年11月、岸田総理が卑猥な言葉を話す悪質なフェイク動画が拡散された。この動画はわずか1時間で作られた動画だった。週刊誌は、ビッグモーターの悪事を暴くなど、世の役に立つこともある。
悪質な切り取り記事・誹謗中傷で深刻な被害が多発した場合、悪質な投稿者のアカウントが停止されたり、罪に問われるケースも出てくる可能性がある。また、成田悠輔は自分の名前を詐欺広告に利用される被害にあったという。前澤友作も詐欺広告にあい、削除依頼を要請するも「本社がアメリカなので日本支社では対応できない」と対応された。この問題は、昨年11月の国会で議論された。
- キーワード
- 前澤友作
「九死に一生編」として、「タイで撮影された、車が縁石に乗り上げて大ジャンプした交通事故の映像」などを紹介した。
「意表を突く編」として、「ブラジルで撮影された、前方を走っていた牛に反撃されたロードバイクの車載映像」などを紹介した。
「激カワ動物編」として、「タイで撮影された、ゾウが絵を描く映像」などを紹介した。
「激カワ動物編」として、「スウェーデンで撮影された、犬が全体重をかけて、壁にくっついていたおもちゃをゲットした映像」などを紹介した。
「激カワ子ども編」として、「スペインで撮影された、小さな女の子がビーチボールにぶつかってプールに落下した映像」などを紹介した。
アメリカ・ニュージャージー州で62歳の誕生日を控えていたクリストファーには、妻ダニーンと息子のクリスとマイクがいた。クリストファーには友達が少なかった。誕生日当日、クリストファーと妻ダニーンが夫婦水入らずでお祝いしていたところ、お祝いメッセージが届いた。お祝いメッセージは次々と届き、外国からも届いた。これは、息子たちがクリストファーの看板を出していたためで、父の誕生日をたくさんの人に祝ってもらおうと、父に内緒で約29万円で看板を掲げたという。その後、看板の写真がSNSで拡散し、世界中からメッセージが届き、メッセージの総数は25万件となった。後日、クリストファーは恩返しに自腹で看板を作成して、感謝の言葉を記載した。
- キーワード
- ニュージャージー州(アメリカ)
フランス・エーヌ県の大家トーマス・ラヴォーには悩みがあった。住人のジャック(仮名)夫婦は1年2カ月も家賃を滞納していた。
- キーワード
- エーヌ県(フランス)トーマス・ラヴォー
高島礼子ら出演者によるスタジオトーク。高島礼子は「(今まで何人と恋をしたのか質問されて)意外と私、長いんですよ。1人とお付き合いすると。結構、長いですね。だからそんなに数はいないですね」などと話した。
住人のジャック(仮名)夫婦は部屋を汚して夜逃げした。大家トーマス・ラヴォーは追跡会社に調査を依頼して、夫婦の転居先を突き止めた。
大家トーマス・ラヴォーは追跡会社に調査を依頼して、夫婦の転居先を突き止め、迷惑夫婦の残した大量のごみと壊れた家具を新居の前にぶちまけた。この動画をSNSに投稿すると、テレビ番組が取り上げるほど話題になった。その後、迷惑夫婦は大量のごみを自分たちで片付けたという。
昭和の時代、女性からのプレゼントは手編みのセーターが流行。non・no調べによると、男性が女性にもらいたいプレゼント1位が手編みのセーター、2位が手編みのマフラー、3位がライターだった。手編みセーターの作り方を紹介する専門誌が大流行した。なお、手編みセーターは令和男子にも好評だったが、「大変すぎて作るのは嫌!」が令和女子の街の声だった。
昭和世代が「チャルメラの音色」を演奏できるのかどうかを検証したところ、ほとんどの人が弾くことができた。また、当時は客が自宅の丼にラーメンを入れてもらうのが常識だった。なお、「チャルメラ」は現在、リコーダーの教材になっており、一部の小学校で音楽の授業に取り入れているという。
昭和の時代、ビニール製のテーブルクロスが流行していた。テーブルクロスはテーブルを新品のような状態に保てた。また、昭和の頃に、車のシートのビニールを剥がさずに、そのまま運転していた人もいた。車内を土禁にする人もいて、駐車場に置き忘れられた靴は、土禁の車がやってきた証だった。また、テレビのリモコンのフィルムを付けたまま使用する人や、ラップを巻き付けて保護する人もいた。
昭和の冷蔵庫には、急な発熱に対応できるよう、冷凍庫にアイスノンが常備されていた。また、アルミ製のトレーで氷を作っていた。ペットボトルが普及し始めたのは1980年代後半の頃で、それまではほとんどのジュースが瓶で販売されていた。空き瓶は酒屋さんでお金に交換してくれた。ビールは酒屋さんが定期的に運んでくれていた。カルピスウォーターが発売されたのは平成3年からで、昭和世代のカルピスは瓶に入った原液だった。乾電池は冷やすと長持ちするというウワサがあり、冷蔵庫に入れていた家庭が多かった。冷やすと伝線しにくいというウワサから、ストッキングも冷蔵庫に入れていたという。また、冷凍室の位置が、冷気を逃さないために、上から下に変わった。電気冷蔵庫が普及したのは1960年代で、それまで氷を入れた木箱が冷蔵庫の役割を果たしていた。冷凍室が上にあったのは、氷式冷蔵庫の名残りという。