- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) 芦田愛菜 伊集院光 赤楚衛二
今回サンドウィッチマンが向かったのは負の世界遺産であるアウシュビッツ。後に「アウシュビッツ・ビルケナウドイツ・ナチ強制絶滅収容所」と呼ばれることとなるこの施設は、かつて100万人以上の罪なき命が虐殺され負の遺産として後世に残された場所。現在は年間約200万人が訪れ、悲劇を今に伝えている。今回は特別に撮影許可が降りたためサンドウィッチマンが潜入リポートを行う。
ポーランド、世界遺産の街・クラクフに、サンドウィッチマンが訪れた。この街がキレイなのはドイツ軍の基地があったからだという。ポーランドの子供たちは小学生になるとアウシュビッツを訪れる。
サンドウィッチマンはポーランドのことアウシュヴィッツのことを勉強してきたという。事前勉強会を行ってきた。だから戦争はやってはいけないんだと思ったという伊達さん。オシフィエンチムはアウシュヴィッツと呼ばれた。世界遺産の非公開エリアも観た。アウシュヴィッツは負の世界遺産と呼ばれる。
ふざけないサンドウィッチマンがふざけるような空気でもないところに行ったという伊集院さん。届ける意味があるとのこと。負の世界遺産は悲劇の起こった場所。
負の世界遺産であるアウシュヴィッツ。80年前に何があったのか。何がのこされているのか。ポーランドのオフィシエンチムはドイツ語でアウシュヴィッツと呼ばれていた。強制収容所となった場所。ナチ・ドイツが100万人のユダヤ人を大量虐殺した場所。第一収容所・第2収容所は開放されている。90年前、大不況のドイツ。反ユダヤ主義・人種差別思想を掲げたヒトラー率いるナチ党が台頭。不況の原因をユダヤ人へ求めた。偏見はやがて迫害になった。多くのユダヤ人がアウシュヴィッツへ送られた。政治犯・異分子とみなした人々も収容された。現在は国立博物館となった。200万人が訪れている。アウシュヴィッツ第一収容所の内部へ。第2収容所と合わせると190万平方メートル。サッカーコート260面以上。収容者が寝泊まりし強制労働させられた建物があった。収用棟エリアへ入っていく。
サンドウィッチマン潜入リポート。負の世界遺産アウシュビッツ。「働けば自由になる」を表す看板。実際には強制労働が科せられていた。よくみると、Bが逆さまの看板。博物館ガイドのカレットさんに案内してもらう。「B」を逆向きにすることで、収容所の中でおこなわれていることへのわずかな抵抗だったという。尊厳を守るために戦った、知られざる人々にスポットを当てていく。
サンドウィッチマン潜入リポート。負の世界遺産アウシュビッツ。収用棟エリアへむかう。電気が流れる金網の柵。ナチスが占領したとき、当初は政治犯の収容施設だったが、ユダヤ人の根絶を目的とした強制絶滅収容所。連れてこられた人々は、ユダヤ人の絶滅や強制労働が目的とされたことを隠されたまま。新しい土地へ移住すると騙されてやってきた。現在、建物の中身は博物館になっている。ヨーロッパ各地に収容所があり、収容人数は延べ約500万人。アウシュビッツに到着後、働ける人と働けない人にわけられ、労働力とみなされない人は虐殺された。偏見により差別を受けてきたユダヤ人。住む場所の制限や財産の没収など、迫害を受けていた。名前を奪われ番号で管理されていた。
サンドウィッチマン潜入リポート。負の世界遺産アウシュビッツ。博物館には奪われた遺品が展示されている。大量のメガネは、状態の良いものはドイツの慈善団体へ配布されていた。中には松葉杖、ギブスや義足なども。ユダヤ人だけではなく、働けないとみなされたけが人や障害のある人もガス室で殺害された。他にも政治犯や同性愛者らも連行された。食器や鍋、大量の靴…。次の部屋には収容者の命がけの抵抗を感じる展示があった。
サンドウィッチマン潜入リポート。負の世界遺産アウシュビッツ。収容者の命がけの抵抗を感じる展示があった。収容者が密かに撮った写真。写真や映像はドイツにとって悲惨な状況を伝える映像や写真が残っていない。中には、遺体が焼かれている写真。命がけの抵抗で、惨状を後世に伝えている。
サンドウィッチマン潜入リポート。負の世界遺産アウシュビッツ。カメラ潜入禁止の部屋へ…。犠牲者に配慮して撮影ができなくなっている。中には、おびただしい数の人毛。展示されているだけで2トン。絨毯、靴下、布繊維に髪の毛を使っていたという。男女かかわらず、髪の毛を剃られ髪の毛は工業材料として使われた。
スタジオでは伊集院光、赤楚衛二、芦田愛菜が、サンドウィッチマンのアウシュビッツ収容所のリポートの大切さを語った。
サンドウィッチマン潜入リポート。負の世界遺産アウシュビッツ。収用棟エリアのさらに奥。10号棟、11号棟のさらに奥へむかう。
サンドウィッチマン潜入リポート、負の世界遺産アウシュビッツ。2人は収容棟エリアのさらに奥へ。敷地の奥にある通称死の壁。脱走や命令に背いた者が壁の前で銃殺された。博物館ガイド・ヤレックさんに犠牲者へ敬意と哀悼を込めて見ながらのコメントは控えるよう言われ近くで見学した。研究者の推計によると、少なくとも5000人が銃殺されたという。逃亡や抵抗をした人が収容された懲罰房がある11号棟へ。命令に背いた罰で収容され、多くの命が犠牲になった。5畳ぼどの広さに約10人の収容者が押し込められた懲罰房や1畳未満に4人が立って収容された立ち牢もあった。
尊厳を守るために戦った知られざる人がいる。飢餓による処刑が行われ、10人が餓死するまで入れられた。収容された1人はコルベ神父で、別の収容者の身代わりで餓死房へ入れられた。コルベ神父は戦前、長崎で宣教していたキリスト教の神父でナチの差別主義に抵抗してアウシュビッツへ連行されたという。ある日脱走の見せしめで無関係の10人が懲罰房に入れられることに。その中の1人の男性が「妻と子どもがいる…許して欲しい」と訴えていると、コルベ神父は自ら身代わりに名乗り出て懲罰房に入った。2週間飲まず食わず生き延びたが、ナチによって直接命を奪われた。神父が助けた男性は終戦まで生き抜き家族と再会、コルベ神父の勇気と真実を伝え続けた。
焼却炉で働かされていた収容者の大規模な反乱もあった。450人の収容者が命を落とした。収容者が反乱を起こし、3人のナチ隊員を殺したという。身代わりを申し出た人、報われなくても反抗した人など、人としての尊厳を守るため勇気を持って立ち上がった人々がいた。赤楚は「発信する力強さを感じる」、芦田は「抵抗した人がいるのを知らなかった。希望を見出す人の力を感じた」などとコメントした。
多くの命が奪われたガス室へ。内部を再現した展示を見ると、ガス室で使用されたチクロンBが展示されていた。本来は害虫駆除に使用されていたため、神経が麻痺して苦しみながら15分20分かけて死んでいったという。差別的な思想により敗戦や不況の原因をユダヤ人に押し付けたナチ・ドイツ。ガス室を作り大量虐殺はエスカレートした。約90万人が有毒ガスによって虐殺された。現在は改修され内部を見学することができる。
サンドウィッチマン潜入リポート、負の世界遺産アウシュビッツ。多くの命が奪われたガス室を見学。1941~1942年に稼働し一度に最大約900人が殺害された。中には毒殺された収容者を焼いた焼却炉もあった。1日300体以上の遺体を焼却、収容者がその作業を強いられた。赤楚は「一番衝撃だったのがガス室。隣接してるんですか焼却炉。あまりにもシステム的な作業感」、伊集院は「すごくゾッとする」などとコメントした。
次は非公開エリアの25号棟へ。番組の趣旨を説明したところ、特別に公開してもらえることになった。そこは今までの展示とは異なるものだった。
負の世界遺産アウシュビッツの非公開エリア。保管されていたのは絵だった。緻密でカラフルな作品もあれば、黒だけで描かれた作品もある。収容者が描いたアート作品だった。プロパガンダ芸術のひとつで収容者はナチの指示通りに描かされたという。収容者が自らの意思で描いた作品、収容者が看守に隠れて描いた絵もあった。収容所では番号として扱われるようになったため自分のアイデンティティーを取り戻すために多くの肖像画が描かれた。芸術こそが抵抗の表現だったと考えられている。伊集院は「絵の得意な人は描かずにはいられなかったんだろうと思う」などとコメントした。
第2収容所ビルケナウは、第1収容所の8倍以上の広さを持つアウシュビッツ最大の収容所。ヨーロッパ各地から連行されたユダヤ人らが到着し死の選別を受けた場所でもある。たくさんの人が来ていた。死の門と言われている門があった。
