- 出演者
- 後藤輝基(フットボールアワー) ホラン千秋
日本テクノを紹介。日本テクノでは電気保安管理では高圧受変電設備の点検を行っていて、全国約63000か所で保安点検を実施している。また電気主任技術者 業務説明会を関東各地で随時開催中。
渋谷の昔の映像を若者に見せて驚かれたことをクイズ形式で出題。名作映画「E.T.」、なつかし商品などの10代における認知度も調査。
大規模再開発で街並みが変化し続けている渋谷。10代・20代の若者53人に、1983年の渋谷を紹介した番組映像を見てもらい、驚かれたことをクイズ形式で出題。
- キーワード
- 渋谷区(東京)
ザ・ニンチドショーの番組宣伝。
大規模再開発で街並みが変化し続けている渋谷。10代・20代の若者53人に、1983年の渋谷を紹介した番組映像を見てもらい、驚かれたことをクイズ形式で出題。「〇〇がみんな黒い(髪の毛)」「改札に〇〇がいる(駅員)」「看板に〇〇が多い(カタカナ)」「〇〇を持っている人がいない(リュックサック)」など。
ザ・ニンチドショーの番組宣伝。
10代・20代の若者53人に、1983年の渋谷を紹介した番組映像を見てもらい、驚かれたことをクイズ形式で出題。「駅前広場に〇〇が少ない(ゴミ)」など。当時は今に比べてゴミ箱が多かったんだそう。正答数が多かった熊谷&ティモンディチームには金一封贈呈。
問題「40~50年ほど前の原宿 10代・20代が驚いたことは?」。選択肢は「歩道に(?)がない」「(?)の中が丸見え」「(?)シャツを着ている人が多い」「竹下通りで(?)を着ている人がいない」「大人数で(?)ている」。「歩道に(?)がない」の答えは「歩道に点字ブロックがない」、小森隼が正解し、三田&小森チームは30点獲得。点字ブロックが全国に先駆けて設置されたエリアは1972年の高田馬場駅周辺。2000年に交通バリアフリー法が施行されたことで、多くの駅や道路に設置されるようになった。また、若者は地べたに商品を置いたり、銀行の前で行うフリーマーケットに驚いた。現在も地面に商品を並べたフリーマーケットはあるが、公園や広場などで行うのが一般的。当時は路上販売が当たり前だった。2000年に竹下通りと表参道で路上販売と客引き行為の禁止運動を開始。今では路上販売を見かけることはほとんどなくなった。「竹下通りで(?)を着ている人がいない」の答えは「竹下通りで制服を着ている人がいない」、三田寛子が正解し、三田&小森チームは20点獲得。
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今回は10代・20代の令和世代39人に1970~80年代の原宿駅周辺の映像を見てもらった。若者が何に驚いたのかをクイズにした。「竹下通りで(?)を着ている人がいない」の答えは「竹下通りで制服を着ている人がいない」、三田寛子が正解し、三田&小森チームは20点獲得。当時の原宿は若者の街ではあったが、今のように中高生はいなかった。1980年代半ばから、タレントショップをはじめとする土産物店が乱立し、修学旅行生などの10代が集まり始めた。1990年代には“コギャル”と呼ばれる女子高生が登場。
「大人数で(?)ている」の答えは「大人数で踊っている」、井上咲楽が正解し、高橋&井上チームは10点獲得。70年代末期、竹の子族やローラー族と呼ばれる若者たちが歩行者天国に集まり、奇抜なファッションでラジカセから流れる音楽に合わせてダンスを踊っていた。ホコ天で踊る若者と見物する群衆の関係は今でいうインフルエンサーとフォロワーのような関係。「(?)の中が丸見え」の答えは「飲食店の中が丸見え」、小森隼が正解し、三田&小森チームは10点獲得。現在でもガラス張りの店舗は多く存在するが、下半分はすりガラスになっていたり、ブラインドが降ろせるようになっている。1970年代にファミリーレストランが続々と開業し、大きな窓による開放感が人気となり、ガラス張りの店舗が増加。また、当時のファストフード店でホットドリンクを頼むと取っ手付きの紙コップが出てきた。残るは「(?)シャツを着ている人が多い」のみ。
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「(?)シャツを着ている人が多い」の答えは「襟付きシャツを着ている人が多い」、高橋茂雄が正解し、高橋&井上チームは20点獲得。現在はスウェットやパーカーなど、カジュアルな格好が多い。Tシャツなどの丸首も普及していたが、流行していたファッションの影響もあり、外出時は襟付きが当たり前だった。三田&小森チームは合計60点、高橋&井上チームは合計30点。三田&小森チームの勝利。
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