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オープニング映像。
悪性リンパ腫で余命半年と宣告された加治川健司さんは娘・風花さんへ伝えたいことをYouTubeに投稿している。健司さんはがんを患う前は介護士として働いていたが長時間労働に体が耐えられなくなり、現在は新聞配達を行う。健司さんはがんを患うと痩せていったり食べられなくなっていくと弱っていくっていうのをすごく間近で何人も見ていたのでなるべく食べるようにしている、がんになっても普通に暮らすのが健司さん流だと語る。
集団行動が苦手だったという健司さんは登山を機に自然での自由を感じ、29歳の時、島根に移住。妻・靖子さんと結婚し2012年に娘・風花さんが生まれた。50歳の時、悪性リンパ腫を患い2回目の抗がん剤治療を終えた健司さんは治療を辞め、残りの時間を家族と過ごすことを決断する。健司さんは娘・風花さんは初めてのことに挑戦したがらない、それが気に掛かるなどと話す。風花さんは父・健司さんが投稿する動画にちょっと複雑な気持ちなどと話す。2023年4月、健司さんは倦怠感や胸や下腹部の痛みが激しくなり寝ることが多くなった。
健司さんのもとを時々訪ねてきてくれる元同僚の照勇さんと趣味である漫画の話をするのが唯一健司さんが病気を忘れられる時間。照勇さんは、会うたびに健司さんの悪化する病状を見かねてたばこを減らしてはどうかと切り出した。春休みの終わり、一家は東京に住む健司さんの両親を訪ねることにした。健司さんは両親を介護するため同居していたが、がんが見つかると辛そうな姿を見ながら一緒に暮らすのは忍びないため同居を解消してほしいと言われ家を出た。本では「抗がん剤のつらさよりも、病気によって初めて抱いた、両親への不信感のほうが衝撃は強かった」と綴っている。喜んで一家を迎えてくれた両親に、健司さんは本を渡した。
妻の反対も押しきり実家に帰って早々に闘病記を両親に渡した。そこには両親との確執も書かれていた。お父さんは好きなことを書いたらいいと最後にそういうと口をつぐんだ。一方のお母さんは余命宣告を受けてもガンを克服した知り合いのことを話した。健司さんも励ますつもりで言ってくれているのは分かっているが相手が親だからこそ死への恐怖をぶつけることが出来た。3日間の滞在中に動画は一回も撮らなかった。夏になり健司さんが1通のメールが届いた。家族で山登りを始めたという。健司さんは明るく活き活きと見えた。登山の道具を新たに買い揃え近くの山を20回登ったという。娘の風花ちゃんがお父さんが登った山に自分も登ってみたいと言い出した。誕生日プレゼントには風花ちゃんの方から登山靴のリクエストがあった。喜んだ健司さんは家族3人での登山計画を考え始めた。靖子さんは余命半年と告げられてから1年半で不安になっていた。さらに24時間テレビから新たな取材の依頼があった。家族3人で北アルプスに登ることになった。本番の1週間前には近くの山にトレーニングに向かった。標高1200m程の山に登った。
家族で北アルプスに登る目標に向けて、低めの山でトレーニング。かつての健司さんは楽に登れたが、出発からわずか20分で早くも休憩。一方風花ちゃんはまだまだ余裕。息を整えて再開するも、疲れからかバランスを崩して躓くようになり、数歩進んでは止まっての繰り返し。山への挑戦は、始めは風花ちゃんのためだった。でも今は不安はすごくあるがあんまり考えないようにしているという。何か挑戦するとかこれが楽しみだとか、ワクワクする気持ちみたいなのが生きていく上で必要なんじゃないかなとは思っているという。出発から3時間、頂上に到着。何よりも嬉しいのは風花ちゃんの成長。「一緒に山を歩きたいと聞いたお父さんは涙が出るほど嬉しかった。そこに行こうとする意思こそが大切。キミはもうとっくに成し遂げているよ」などと綴った。1週間後に番組あてに届いた知らせには、北アルプスを登ったという。コースタイムの倍以上をかけての登山の模様は、日本全国に伝えられた。健司さんの動画制作から動き始めた家族の物語。山登りへの挑戦は大きな変化をもたらした。何でもそつなくこなす子ではあったが、一歩前に出ようとした姿が見られたのは嬉しかったという。一番感謝してるのは靖子さんだという。靖子さんは、健司さんをみて自分がこうしたいってことに対して一歩でも近づきたいという気持ちを持ち続けることは、病気の進行も遅らせるんじゃないかと思ったという。風花ちゃんも健司さんの変化を敏感に感じ取っていたという。山登りを終えた健司さんは、128本も取り続けたYouTubeをやめた。動画の中で生きるより、心のなかで家族3人いつでも手を繋いでいられるように。
「ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~」の番組宣伝。