- 出演者
- 佐久間みなみ 山本昌 川上憲伸 星野伸之 五十嵐亮太 能見篤史 齋藤隆
すごいのは速球か、変化球か?を語り合う。齋藤隆は速ダマを投げる。37歳にして自己最高スピードを更新したという。投げるのに必要な筋肉をトレーニングしたところ、日本人最高時速158キロを超えて159キロになったという。しかし時速160キロを超えるピッチャーはゴロゴロいるので何も盛り上がることはなかったと答えた。また鍛えすぎてしまい、着れる服がなくなってしまったと答えた。川上憲伸も速ダマを投げる投手だった。変化球を投げたいが、当時YouTubeがなかったのでVHSで2軍の選手に協力してもらったという。五十嵐は手が極端に大きくないので、フォークで投げていたと答えた。
山本はスクリューボールについて、他の球種をなげてみたがダメだった時にアメリカでフェルナンド・バレンズエラからスクリューボールを習ったが、最初は全く投げることができなかったという。悔しかったので毎日ボールを触っていたと答えた。ある時控えめの内野手が遊びで変化球をしていたので。投げ方を教わったという。するとそこからボールが曲がるようになり、試合で三振をとれるようになったと答えた。アメリカの4軍だったからこそ手に入れることが出来た武器だと答えた。その投げ方を紹介した。
- キーワード
- フェルナンド・バレンズエラ産業経済新聞社
星野伸之はあるとき2種の球種じゃ勝てなくなり、落ちる球をもとめてフォークボールを取得しようと考えた。ボールを触っているとその感覚がピンときて、次の日には落ちたと答え10勝出来るようになったと答えた。能見は一緒のチームだったことがあり、星野にカーブの投げ方を教わったと答えた。
川上は覚えられない変化球があったという。阪神で特定の選手に打たれていたのでナックルボールに挑戦したという。そこで一週間ナックルボールに挑戦すると投げられるようになったが、ワンバウンドで終わったと答えた。またパワフルプロ野球というゲームで自分の特技はウラではナックルボールだったが、その強さは0だったと答えた。
曲げダマの星野はアクエリアスと水を混ぜ指に付着させる。ボールを投げるのにもってこいの粘度になるという。また山本は土とロージンを混ぜたものを舐めていたと答え、それを舐めてボールを投げていたという。
能見は投球フォームについてテンポを変えたり投球フォームを3つ持っていたので、タイミングを変えて投げていたという。一方川上は気合で投げていたと答えた。齋藤は投げるボールに関してはどれだけ回転をつけられるかどうか。またボールを強く押し出せるかだと答えた。また山本は曲げダマを投げる選手のほう選手寿命が長いという。その理由に、効率良く身体をを使う方法を模索しているので、年齢のリカバリーが効くと答えた。山本は腕が特殊で手術などをすることもなく投げることができたと答えた。また星野はルーズショルダーだと答え、軽いものをもっても関節が開いてしまうという。五十嵐も両肩の可動域が偏っていると答え、あまりにも片方が曲がらないので手術をしたと答えた。能見は社会人時代はけがをしていたが、炎症と診断されるものの、投げられないほど痛いという。今年ダメならクビと言われていたので潰れていいと思いやったところ、治ったと答えた。星野は大きなけがについて指の間が痛くなり、監督から馬用のクリームをもらったと答えたが怖くて使えなかったという。五十嵐は現役時代右ひじの靭帯の損傷をしてしまいトミー・ジョン手術をしたという。齋藤も肘、肩、股関節と4回手術をしたと答えた。
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山本は速ダマについて、身体を壊しやすいので子どもたちは技巧派で自分の未来を守ってほしいとメッセージを送った。しかし山本は一度だけ恥ずかしいけがをしたという。投げる前日には大好きなラジコンを触らないという自分との約束があったが、新車が届いてしまい、はんだごてを使った所指を水ぶくれにさせてしまったという。
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