2026年9月5日放送 4:52 - 5:22 フジテレビ

テレビ寺子屋
【「ま・さ・か」の出会い/加藤登紀子】

出演者
北村花絵 石川ありす 加藤登紀子 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。今回は歌手である加藤登紀子。テーマは『偶然の出会いに感謝を込めて【「ま・さ・か」の出会い】』。

キーワード
加藤登紀子
(テレビ寺子屋)
歌手 加藤登紀子

静岡県静岡市にあるテレビ静岡にて歌手である加藤登紀子が講演を実施。加藤は著書【「ま・さ・か」の学校 ピンチはチャンス(時事通信出版局)】では、レコーディングで厳しい指導を受けた際に、その違いが自分でも理解し、新たな自分も見つかったなどと明かした。加藤は普通の人が普通の場所で生きていても、その人がどういう気持で行きてきたかが重要などと告げた。

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「まさか」の学校テレビ静岡時事通信出版局静岡市(静岡)
「ま・さ・か」の出会い 加藤登紀子

歌手である加藤登紀子が【「ま・さ・か」の出会い】をテーマに講演を実施。加藤は自分にとっても人生で一番のまさかは結婚であり、結婚とは個の偶然な巡り合いであり、若い頃には自分が結婚というものに到達できるのかと不安に抱いていたなどと明かした。加藤は1968年3月に東京大学卒業を迎えたときにまさか卒業式がないことになり、当時は世界中がベトナム戦争に反対だと燃えた年で、学生運動も盛んでありこのとき自分はプロの歌手になって数年目であったがデモを起こす学生たちに理由を聞いて学生たちを支持したいと思い、そうした中で夫となる藤本敏夫と出会い、学生運動の賛同者達の前で歌うことを提案されたがプロである以上はそうした場では歌うべきではないと断ると、藤本はすんなりと受け入れ、その後にはデートに誘ってくるようになったなどと打ち明けた。加藤はある日に様々なことを語り合った末に「知床旅情」を歌ってくれ、「思い出しておくれ 俺たちの事を」という歌詞が心に響いたなどと告げた。

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ベトナム戦争学生運動東京大学知床旅情藤本敏夫

加藤は去年の60周年ライブで岡山に行った際にハンセン病患者の隔離施設として1930年に設立された長島愛生園の歴史をたどる番組も収録し、今でもそこで生活している男性から、この施設を学生たちが建てようと奮闘しているときに汗水垂らした後に皆で歌っていたのが「知床旅情」であったと教えてくれ、夫・藤本敏夫が「思い出しておくれ 俺たちの事を」と歌ったとき何を思い浮かべていたのかを知ることが出来たなどと明かした。加藤は人生においてはあらゆることがまさかであり、多くの人にとって死も最大のまさかであり、自分の死のタイミングを知ることはほとんどなく、夫・藤本敏夫が亡くなったときはそれまで藤本が所有してきたもの全てが置き去りとなり妻である自分が受け止める必要があり、25五年間夫の持ち物全てを引き受けてきたなどと告げた。加藤は一つの歌を取っただけでも沢山の人々との歴史や思いが語れるものであることを知り、「知床旅情」の作詞作曲を行った森繁久彌とは戦後同じような境遇にあったことが彼の自伝から知ることができ、そういう関係性の方が作詞作曲した歌を歌うという、こんな事が起こりえるのかと思えるまさかに感謝しているなどと話した。

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ハンセン病森繁久彌知床旅情藤本敏夫長島愛生園

加藤は宮崎駿との出会いは1992年公開の映画「紅の豚」であり、公開の1年前にオファーしてくれて出会い、映画「紅の豚」は一次大戦と二次大戦の間の時代を描いており、人はどんな時代に合っても素敵に輝いていることを表現されており、自分は挿入歌「さくらんぼの実る頃」とエンディングテーマ「時には昔の話を」を歌い、自分にとって代表作となり、自分が生きてきた世界を表現することが出来たなどと明かした。

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さくらんぼの実る頃マダム・ジーナ宮崎駿時には昔の話を紅の豚
時には昔の話を/加藤登紀子

加藤が「時には昔の話を」を披露した。

キーワード
時には昔の話を
(エンディング)
次回予告

テレビ寺子屋の次回予告。

エンディング

エンディング映像。

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