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「ハンセン病」 のテレビ露出情報

歌手である加藤登紀子が【「ま・さ・か」の出会い】をテーマに講演を実施。加藤は自分にとっても人生で一番のまさかは結婚であり、結婚とは個の偶然な巡り合いであり、若い頃には自分が結婚というものに到達できるのかと不安に抱いていたなどと明かした。加藤は1968年3月に東京大学卒業を迎えたときにまさか卒業式がないことになり、当時は世界中がベトナム戦争に反対だと燃えた年で、学生運動も盛んでありこのとき自分はプロの歌手になって数年目であったがデモを起こす学生たちに理由を聞いて学生たちを支持したいと思い、そうした中で夫となる藤本敏夫と出会い、学生運動の賛同者達の前で歌うことを提案されたがプロである以上はそうした場では歌うべきではないと断ると、藤本はすんなりと受け入れ、その後にはデートに誘ってくるようになったなどと打ち明けた。加藤はある日に様々なことを語り合った末に「知床旅情」を歌ってくれ、「思い出しておくれ 俺たちの事を」という歌詞が心に響いたなどと告げた。
加藤は去年の60周年ライブで岡山に行った際にハンセン病患者の隔離施設として1930年に設立された長島愛生園の歴史をたどる番組も収録し、今でもそこで生活している男性から、この施設を学生たちが建てようと奮闘しているときに汗水垂らした後に皆で歌っていたのが「知床旅情」であったと教えてくれ、夫・藤本敏夫が「思い出しておくれ 俺たちの事を」と歌ったとき何を思い浮かべていたのかを知ることが出来たなどと明かした。加藤は人生においてはあらゆることがまさかであり、多くの人にとって死も最大のまさかであり、自分の死のタイミングを知ることはほとんどなく、夫・藤本敏夫が亡くなったときはそれまで藤本が所有してきたもの全てが置き去りとなり妻である自分が受け止める必要があり、25五年間夫の持ち物全てを引き受けてきたなどと告げた。加藤は一つの歌を取っただけでも沢山の人々との歴史や思いが語れるものであることを知り、「知床旅情」の作詞作曲を行った森繁久彌とは戦後同じような境遇にあったことが彼の自伝から知ることができ、そういう関係性の方が作詞作曲した歌を歌うという、こんな事が起こりえるのかと思えるまさかに感謝しているなどと話した。
加藤は宮崎駿との出会いは1992年公開の映画「紅の豚」であり、公開の1年前にオファーしてくれて出会い、映画「紅の豚」は一次大戦と二次大戦の間の時代を描いており、人はどんな時代に合っても素敵に輝いていることを表現されており、自分は挿入歌「さくらんぼの実る頃」とエンディングテーマ「時には昔の話を」を歌い、自分にとって代表作となり、自分が生きてきた世界を表現することが出来たなどと明かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年7月20日放送 1:05 - 1:35 日本テレビ
NNNドキュメント’26(オープニング)
ハンセン病患者たちが送り込まれたのは療養所だけの島。ここの収容された人々は本名を名乗ることも家族と暮らすことも子供を持つことも外に出ることも許されず、1代限りの命を島で終えた。その島を生きた人に密着。

2026年7月7日放送 13:05 - 13:50 NHK総合
列島ニュースNHK ONE ニュース
101歳で1人暮らしを始めるハンセン病の元患者の男性がいる。半年余り前に出身地の大阪に居を構えた。14歳の時には治療のため故郷を離れた。群馬県の療養所に入所した。職員から過酷な労働を命じられた。ハンセン病はライ菌で感染する。当時は有効な治療薬はなかった。後遺症が残ることがあった。国は患者を隔離した。差別や偏見が助長された。治っても家に帰れなかった。帰っても差[…続きを読む]

2026年7月6日放送 13:00 - 17:05 NHK総合
国会中継(国会中継)
れいわ新選組・天畠大輔の質疑。中部電力によるデータ不正の問題、それ以外の電力会社の原発について、全原発の安全データ再チェックを本委員会から政府に対する警告決議案に反映するよう求めたが、理事会では与党を中心に浜岡原発だけの問題に矮小化し、全原発の再チェックの文言を入れることを拒まれた。また、能登半島地震等からの復旧復興事業で多額の予備費が未執行、繰り越しになっ[…続きを読む]

2026年6月27日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
木下晋は桜井哲夫についてかっこよかったと答えた。また自身の家出を繰り返していた母も描いていた。反感も憎悪も捨てて、無くなる直前に始めて向き合ったという。その1日は君子さんの薬の時間で決められている。

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