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オープニング映像。
ハンセン病患者たちが送り込まれたのは療養所だけの島。ここの収容された人々は本名を名乗ることも家族と暮らすことも子供を持つことも外に出ることも許されず、1代限りの命を島で終えた。その島を生きた人に密着。
ハンセン病患者を強制隔離する戦前から続いた政策「らい予防法」が廃止されて30年。香川県高松市「大島青松園」は全国に13ある国立療養所の1つ。平均年齢88.7歳、現在は29人が入所。この療養所が作られたのは1909年。国は近代化に向かう中、患者を邪魔者扱いした。ハンセン病とは癩菌による感染症で、感染しても発症するのは稀。戦後には特効薬ができた。悪化すると顔や手足に歪みが出て、その見た目から患者は強い差別を受けた。患者は家族と縁を切り偽名を使った。「らい予防法」が制定され「隔離するほど恐ろしい病気」という偏見が助長された。患者を根絶する「無らい県運動」では市民同士で密告。
香川県高松市のハンセン病療養所「大島青松園」に入所する松本常二さん。10歳で愛媛県から収容され、付き添ってくれた兄とは海岸で引き離され以来会っていない。2010年ごろ自治会長をしていた山本隆久さん。幼い頃の夢は医者。街一番の進学校に進んだが15歳で発病、19歳で収容。家族とは縁を切り別の名前を使用。当時は生きる気力が湧かなかった。別の入所者男性は療養所で親しかった友人を亡くし、後を追って自殺。山本さんとはほぼ入園同期。
香川県高松市のハンセン病療養所「大島青松園」。ハンセン病患者は最期を看取ってくれる身内がいないため、火葬から納骨まで入所者同士でやっている。遺骨は家族に引き取られず島の納骨堂へ。患者は「優生保護法」により子供を持てず、断種・堕胎を強いられた。国策で患者を隔離した「らい予防法」が廃止されたのは1996年。01年には国が過ちを認め謝罪。法律制定から90年以上。2010年ごろ自治会長をしていた山本隆久さん。療養所では有り余る時間を陶芸に費やしていた。完成品は誰も使ってくれないが、感覚を失った手で作り続けた。
香川県高松市のハンセン病療養所「大島青松園」。らい予防法廃止から14年後、療養所がある大島で芸術祭が開かれ初めて観光客がやってきた。使われなくなった施設はカフェに再生。患者の山本隆久さんが作った陶器が使われた。療養所は人々の憩いの場となり、アートイベントでは山本さんが講師を務めた。観光客から握手を求められ、「人と人とのつながりは尊い」「若い人に託す」と話した。2016年、83歳で永眠。収容されてから64年、偽名のまま遺骨となった。
香川県高松市のハンセン病療養所「大島青松園」。島では1日中オルゴールが流れる。10歳で収容された松本常二さん。20歳の頃から目が悪くなり、将来を悲観し自殺を試みた。視力や指先の感覚を失っても点字を覚え、2011年にはハンセン病で除籍になっていたふるさとの小学校に招かれ卒業式が開かれた。故郷を追われて70年、本名を名乗ったのはこの時から。かつて中絶を強いられた大西笑子さんは子供たちへの講演で、「国民が悪いんじゃない 国がそういうのを決めたから」と差別への思いを語った。入所者に会いに診療所に来る人も増えた。
香川県高松市のハンセン病療養所「大島青松園」。島でこれまでに亡くなった人は2000人以上。残された入所者は29人。患者の松本さんは「大島は第2のふるさと」「波は子守唄 全てが私を慰めてくれた」と話す。
次回の「NNNドキュメント’26」の番組宣伝。
