- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 秋元真夏 岡田圭右 井上咲楽 水谷隼
ユースケ・サンタマリアは「芸能界で最もギャラの単価の高いトップ3」をゲストに呼んだと話し、岡田圭右は「1番リーズナブルでやっています」とツッコんだ。水谷隼は秘境ロケで野犬と遭遇したエピソードを明かした。
石川県の山奥に、住人0人の限界集落に移住した人がいるという。山奥へ走ること30分、大土集落に到着した。家はあったが人影が見えず、まるでゴーストタウンのようだった。少し歩くと外国人男性が農作業をしていた。集落に住んでいる二枚田さんに話を聞くとひょんなことがきっかけで農作業をやってくれるようになったという。二枚田さんの家で共同生活をしているその外国人たちをと一緒に、猪鍋を囲んだ。この集落は無人集落だったが、二枚田さんは8年前に母親と一緒に移住してきた。
翌日の気温は-2℃。雪が降りそそぎ前日とは別世界だった。集落には水道が通っていないため水路を通し湧き水を田んぼに送っているが、その水路を野生のイノシシがほじくり返しよく水が止まるという。その度に二枚田さんたちは水路を作り直している。作業は4時間も続いた。作業の後にドラム缶風呂に入った。
二枚田さんは15歳から大阪の工場で働いていたが、二枚田さんの生まれ故郷はこの大土集落だという。36年間集落から離れ生活していた二枚田さんは、集落の住民が0人になったという衝撃の事実を知り8年前に大土集落に戻った。国際ボランティアの人たちと共同生活を送り、これまで25ヵ国250人以上に農業を教えてきた。
岩手・本屋敷集落に暮らす神様と呼ばれる方の情報を入手し徒歩で神様の元へ向かう。歩くこと1時間、住民2世帯の本屋敷集落に到着。
93歳の小田島さんは60歳から18年かけ大偉業を達成し衰退する西和賀町を救い神様と崇められるようになったという。その謎を探るべく密着。農作業を終えた小田島さんは来る冬に備えて薪割りに精を出した。
小田島さんの家から出てきたという大量の縄文土器を見せてもらった。昭和初期、本屋敷集落周辺には3つの鉱山があり1000人もの住民で賑わっていた。小田島さんは23歳の頃、農家の娘と結婚。家業のコメ作りを両親と妻に任せ、小田島さんは森林管理の職員となった。定年後に家業のコメ作りに目を向けると、西和賀町のコメの値段が落ち込み疲弊する農家の実情を目の当たりにした。
小田島さんは60歳から山菜の栽培をスタート。苦節18年、わらびの栽培方法を確立し西和賀町の特産品として特許を取得した。その後西わらびの栽培方法が広まると町中でわらび農家が増加しブランド山菜と成長。衰退していた西和賀町のコメ農家に山菜作りのノウハウが広まり一つの町を救った。小田島さんは16種類の山菜栽培に成功し、山菜の神様と呼ばれるようになった。
岡田圭右は娘・岡田結実が幼い頃から父親の扱いに慣れていたと明かした。
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岩手・本屋敷集落に暮らす小田島さんに密着。60歳から山菜作りを始め苦節18年、西わらびの特許を取得。ノウハウが農家に広まり衰退していた街を救った。さらに小田島さんは16種類の山菜栽培に成功。現在黒わらびの特許を申請中。3年前に妻が他界し、現在は息子さんがほぼ毎日実家を訪れ山菜作りを手伝っている。
予約殺到の秘境食堂「開」を営む鈴木さんに密着。ほぼ毎朝、小田島さんの山菜を仕入れている。秘境食堂の建物は築100年の古民家。鈴木さんは建築の素人だが大工の友達に手伝ってもらいリフォームしたという。開店準備を終え、11時半の開店と同時に続々とお客さんがやってきた。
井上咲楽は下唇を噛むクセを発見するたびにSNSに投稿するファンに悩まされたことを明かした。
岩手県の山奥で秘境食堂を営む鈴木さんに密着。神様の山菜と海鮮を使ったメニューを提供している。開店時間と同時に続々とお客さんがやってきた。
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水谷隼は現在卓球以上に投資にどハマリしていることを明かした。
岩手県の山奥で秘境食堂を営む鈴木さんに密着。本屋敷集落で採れた山菜や海鮮を使った絶品フルコースの最後を締めくくるのは山菜を使ったデザート。山奥なのに多くのリピーターになるという。鈴木さんが山奥で秘境食堂を始めた理由は温泉。
昭和初期、鉱山で働く1000人以上の住民がいた本屋敷集落。当時の住民が使っていた温泉は今もお湯が湧き続けている。鈴木さんは「本屋敷集落で何かをしたい」という思いから秘境食堂をオープンしたという。
京都から岩手・切留集落に移住した四方さん夫婦に密着。山奥に移住したのはある有名人と深い関係があるという。
四方さん夫婦が暮らす築50年の住宅は家賃2万円で借りているという。主に家計を支えているのは妻・佳奈さん。夫は犬や猫の保護の仕事や家事、畑仕事を行っている。佳奈さんは毎月数百冊の本を作り東京で店頭販売しているという。
佳奈さんは京都の芸術の大学に進学し、読書好きが高じて本作りの道へ進む。しかしなかなか売れずその日暮らしの生活が10年続いた。ある事がキッカケで売上げが急増しその日暮らしから脱却したという。