- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 新井恵理那 秋元真夏 城田優 堀田茜 新浜レオン
オープニング映像。
オープニングの挨拶。新井恵理那が産休明けでMCに復帰した。ゲストの城田優はロケで3日間断食をしたうえで山登りをしたり浜辺に埋められたりしたと話した。
スタッフは福井の山奥にやって来た。入山禁止の看板があり行き止まりに。木を切っている男性・長さんに話を聞いた。宮郷町は長さんの私有地で住民登録しているのも長さん1人だった。長さんの車で1km先の自宅に連れて行ってもらった。家に電気がないので、太陽光の蓄電器を使用している。蓄電器は3つ合わせても持つのは3時間、充電が切れると懐中電灯を使用している。40年前に電気をひこうと思ったら2000万円かかると言われ止めた。家から3kmの場所にテニスコート114面分の田畑がある。長さんは米やヤマブドウ、ジャガイモ、ミニトマトなど8種類の野菜を育て自給自足の生活をしている。畑仕事が終わると、まさかりで薪割りをした。仕事を終えると、野菜やイノシシの肉を炒め食事を振る舞ってくれた。水道から出ている水は山の水源地からひいてるので出しっぱなし。
長さんの先祖は500年以上、12代に渡り林業を生業にしてきた由緒ある家柄だった。林業を営んでいたが昭和30年代後半、国産よりも安い海外の木材が脚光を集め国産の木材需要が減少。宮郷町の林業も衰退していった。周りは仕事を求め引っ越していったが、長さん家族だけが残ることになった。その後、両親は農業に切り替えていった。母・キミエさんは92歳で亡くなるまで集落を守り抜いた。長さんは福井市内に奥さんと住んでいるが週5日、唯一の住民として宮郷町で生活している。
天草市の本渡バスセンターからバスに乗り、終点で下車。地元の男性・磨田さんに秘境人について尋ねると山奥の梶山という集落に知り合いがいるとのことで車で連れて行ってもらった。山奥に1人で暮らす89歳のサツコさんと隣に住む88歳の富士子さんに出会った。2人はほぼ毎日1時間ほど仲良く散歩している。梶山集落に暮らす74歳のつるえさんにも話を聞いた。昔は25軒の集落だったが今は5軒になった。畑では8種類の野菜を栽培し自給自足している。天草市ではバスがない梶山集落の人たちのために週2回タクシーが来てくれ、片道1人400円で街まで乗せてくれる。サツコさんはタクシーで街の病院に行き、スーパーで買い物をしてタクシーで帰宅した。家でコノシロの刺し身やキュウリの辛子漬けを振る舞ってくれた。娘の登美子さんは天草の街中で暮らしており、週1回会いに来る。後日サツコさんの家で登美子さんも一緒に話を聞いた。昔はもっと下の方に家があったが、登美子さんが高校時代火事で家が全焼したという。サツコさんの夫もその時に焼死した。さらに夫は知人の借金の保証人になっており、知人は夫が亡くなる前に逃亡。サツコさんは借金を肩代わりすることになり、力仕事をして借金を完済した。苦労していたサツコさんを支えていたのは集落の住民たちだった。その後、つるえさんに西に八丁という集落があるという情報を教えてもらった。
新浜は「伯方の塩」のCMでブレイクした高城靖雄の息子。新浜が小学生の時にはPTA会長を務めており、卒業式のスピーチで「縁といえば伯方の塩」と高城が話すと式は爆笑に包まれて恥ずかしかったと話した。
タクシーで八丁に向かった。大きな家に1人で暮らす78歳の康子さんに出会い、話を聞いた。お風呂は家の外にあり、薪を焚いて沸かしている。康子さんの家の下に関東から移住してきた人がいるとの情報を教えてもらい、その家を訪ねた。家には8年前に千葉県から移住してきたという44歳のミツさんがいた。築60年の古民家を借りて1人で暮らしている。
八丁集落を訪れ、千葉県から移住してきたという44歳のミツさんに話を聞いた。畑では7種類の野菜を自給自足している。急斜面の段々畑ではさらに6種類の野菜や果物を育てている。
城田はミュージカルの稽古中、演出家が他のシーンの演出をしている時にイヤホンをして自分の曲の練習をしていたら「うるさい」と怒られたと話した。
八丁集落に移住してきた44歳のミツさんに話を聞いた。ミツさんは千葉市で生まれ育ち、幼い頃から絵を描くのが好きだった。一方高校に入ると決められたことをしなければならない学校に馴染めず、2年生の夏に辞めた。曲を書いており、音楽活動に専念するため東京へ。ライブハウスで活動し18歳の時に音楽事務所と契約した。メジャーデビューの話も出たが、売れるための捨て曲を作らなければいけなかった。ミツさんは「全部大事な曲です」と反発し、そうこうしているうちに話は立ち消えになり21歳で音楽事務所を辞めた。音楽を続けるためには生活費を稼ぐ必要があった。平日はアルバイト、日曜はライブで休みのない生活が続いた。人間関係での悩みもあり自分を責めるように。そんな時息抜きも兼ねて地元に帰った友人を訪ねた。その場所が今暮らす八丁集落だった。空き家を見つけ、移住を決意した。
六本木集落の住民に天竺という山があると教えてもらい、天竺を目指してタクシーで山道を進んだ。天竺に一番近い蔭平集落に到着した。現在10世帯が暮らしており、そこで暮らす81歳の廣市さんに話を聞いた。畑では7種類の野菜を自給自足している。裏の山では妻のトミ子さんが草を刈っていた。草が伸びるとイノシシが巣を作るという。2人は昭和44年にお見合い結婚した。3人の子どもを授かり、外では建築の仕事、家では養蚕と牛も育てていた。廣市さんはおととし大動脈弁狭窄症の手術を受けた。トミ子さんは廣市さんが退院して以来元気でいてくれるよう毎日2回80分間マッサージしている。その後スタッフは天竺山頂に登った。一説によると天草にあったお寺の和尚さんが仏教を広めるために西に位置するこの山を仏典を求めて旅した西遊記になぞらえて天竺と名付けたという。
長野県の安戸集落を訪ね、住民の秀晃さんと妻・あゆ子さんに話を聞いた。もらった廃材などを使った10万円ハウスで3人の娘たちと暮らしていた。秀晃さんは北の国からの五郎さんに憧れたと話した。お風呂場も手作りで、お金を使わずに作るのが秀晃さんのモットー。以前は東京で都会生活をしていた秀晃さんは年収1000万円近く稼ぐ営業マンだった。
長野県の安戸集落を訪ね、住民の秀晃さんと妻・あゆ子さんに話を聞いた。200羽近くの鶏を飼育し卵は自給自足。余った分は出荷して生活費の一部にしている。秀晃さんは一日中畑仕事をしている。20種類以上の野菜を自給自足。
城田は親しい友人とは裏声で喋ったりしており、ある時買い物中に裏声で隣に喋ったら全然知らない人がいたと話した。堀田はラジオのインタビュー中、「自転車操業」という言葉を聞き「自転車で全国を回ってるんですか」と言ってしまったと話した。
長野県の安戸集落を訪ね、住民の秀晃さんと妻・あゆ子さんに話を聞いた。収穫した野菜は2年かけて掘った手作りの貯蔵庫に保管している。ヤギも飼育しており、雑草を食べてもらっている。料理当番をしている秀晃さんはチャーハンを作った。秀晃さんの部屋は外においてある廃車で、畳も敷いてあった。3人の娘が自分の部屋が欲しいと言いだしたため、夫婦は車で寝泊まりするようになった。お風呂はドラム缶だった。秀晃さんは大阪出身で、就職と同時に東京へ。コンピューター関係の営業として働いていた。あゆ子さんは神奈川県出身で看護師として働いていた。2人が出会ったのは間寛平と行くホノルルマラソンツアーだった。秀晃さんは営業成績で競い合うことに疲れ同僚たちともズレを感じるようになり、そんな時に「北の国から」の五郎さんに憧れた。お金にとらわれない自由な暮らしがしたいと、キャリアを捨てて田舎暮らしを決めそのタイミングで結婚もした。結婚3か月で安戸集落に移住し、荒地を開拓することから始めた。
スタッフは徳島の山奥へ。先の山奥に上尾後集落と下尾後集落というともに3世帯しか住んでいない集落があり、北に位置する上尾後にキタさん、南の下尾後にはミナミさんが住んでいるという情報があった。上尾後集落を訪れ、喜多さんに出会った。1日1時間ほど散歩しており、ヘビやマムシが出るため常に鎌を持っている。