- 出演者
- 名倉潤(ネプチューン) 堀内健(ネプチューン) 原田泰造(ネプチューン) 斎藤ちはる 野田クリスタル(マヂカルラブリー) 村上(マヂカルラブリー) 池田美優
納豆が好きすぎて納豆のラベル10数年を集めていたお母さんがいた。同じラベルに見えるがデザインが微妙に違うという。結果、これまで300枚以上の納豆ラベルをコレクションしていた。納豆マニアが選ぶトップ3は第3位「こいしや食品 平家大粒納豆」、第2位「かじのや納豆 北海道大粒納豆」、第1位「だるま食品 大粒黒豆納豆」とのこと。ここで納豆マニアの素朴な疑問として「泰造さんが前に納豆を食べているCMを何で最近やらないんですかね?」となっていたが原田泰造は「契約が切れたんですよ!」と話した。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。
出演者が紹介され、きょうのラインナップを紹介。
次の珍百景情報は「体が柔らかくて○○○の日本一」だという。日本一の競技について聞くと「サーカスの大会で優勝」とのことで小6の時にサーカスの技で日本一となっていた。コントーションという身体の柔軟性で魅せるジャンルであるが、彼女はサーカス団などには所属していない。コントーションが習える教室に通い始め、もーこ先生は「スゴい逸材が来たな」とのことだった。将来の夢について聞くと「シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーになりたい!!」と話した。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。
次の珍百景情報は「15歳の少年の熱意と行動力」とのこと。浅草のすぐ近くにあるビルでクマのフィギュアに色付けし、オリジナルの作品を作れるお店を13歳の時に企業して設立していた。起業したきっかけは「5歳からの夢があって16歳になったらおにぎり1000個を貧困地域に配りたいので資金集めのために起業した」とのこと。5歳の時に家族旅行で行ったフィリピンで弟のおしゃぶりが盗まれることがあり、日本とは全然違うと思い「満たされてないから」と思いママのおにぎりを食べたらパワーが付くかなと思っておにぎりを配りたいと思ったという。まず最初に始めたのは自作のデジタルアートを販売し、さらに資金を集めるために2023年で流行ったベアアートを始めていた。この会社を始めるための企業資金はオランダ在住時に通訳をしたり商売をしてコツコツと貯め、親が出すのではなく自分で稼いでいた。浅草の近くでお店を始めた理由も外国人観光客をターゲットにできるからであった。またおにぎりもただ作るのではなく有明海で熊本の漁師さんと海苔作りをし、お米も農家さんと協力していた。2年前に起業して現在は16歳が目標だったが15歳でできそうとなり、昨年ラオスで政府関係者と打ち合わせをして今年の冬にラオスで配ることが決まったという。番組にプレゼントをいただき、珍百景の出演者を知っているか聞くと「ちょっとわかんない…」とのことだった。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。
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- BEAR ART TOKYO浅草(東京)
スズメバチは家に持って帰ってペットにするという。スズメバチは冷凍庫に入れ、5分間ぐらい冷やしたら動きが鈍くなったので、針を抜いていった。ハチ以外にも多くの生き物を飼育しており、部屋の窓にはアシナガバチの巣があり、近所にあったハチの巣を取ってきて観察しやすいようにしたという。将来の夢は生き物系の学者になり、絶滅危惧種とか研究したり増やしたいとのことだった。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。
次は「誰が利用する!?全国各地の不思議な24時間営業」について。まずは24時間営業の文房具店「オカモトヤ」から。日中は店員がいるが夜間は無人のためQRコードを読み取ってドアが開き、キャッシュレスレジで自分で決済をすることになるという。続いては「24時間フルーツ」があり、24時間無人にすることで安くできるとのこと。中には24時間営業の雑貨屋「時を越える小箱」もあり、深夜に営業中のお店が少ない地域で深夜の宝探し気分になればいいという。富山県高岡市のマンションの1階には「24時間無人セルフ韓国ラーメン」とあった。セルフの韓国ラーメンのシステムは韓国は「コンビニで袋麺を自分で調理する」となっており韓国スタイルを取り入れた専門店となっていた。また無料トッピングもあるとのこと。深夜の利用客も多いとのことだった。東京都江東区では24時間営業の食パン専門店もあった。深夜でもお客さんが多く、多い日で1日1000本売れ深夜も50本ほど売れるという。
東京都江戸川区の住宅街には自宅件お店の不動産屋があった。和田昌俊さんに営業スタイルを聞くと家の中の部屋にお客様を案内しているという。売買物件が専門の不動産屋とのことだが、働き方改革など関係ないような働き方であった。この日は電車で2時間かけ物件の下見へ行き、価値を査定していた。下見が終わると事務所で作業となり、時間をかけ丁寧に顧客に対応していた。従業員は和田昌俊さんと母・洋子さんの2人だけとのことだった。しかも交代で休むのではなく、2人がずっと働いていた。和田昌俊さんが深夜3時に寝ることとなったが、就寝中もスマホは離さなかった。24時間営業を始めたのは洋子さんの母で、母が朝から晩まで家事や育児で大変だったので「いつでも開いてる不動産屋さんを!!」という思いで始めたという。「辞めようと思ったことは!?」について和田昌俊さんは「正直言えばあるっちゃある」とのことだった。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。
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- 江戸川区(東京)
「ナニコレ珍百景 採用されると賞金3万円」の告知をした。スマホサイトまたは「ナニコレ珍百景」で検索。
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- ナニコレ珍百景ホームページ
離島がアピール珍百景にて「日本に1つだけ○○の離島」について。船で約10分で到着し、よくある島に見えるがこの島が浮かぶ場所は琵琶湖の中であった。そこは湖にある友人離島の沖島で車はなく荷物の運搬は三輪自転車とのこと。島民は約220人で鮎や鮒の漁師さんが多いという。そしてグルメや絶景スポット・宿泊施設などアピールポイントを教えてもらうことに。琵琶湖の島ならではの絶景スポットを案内してもらい、離島メシとして「湖島婦貴の会」の「よそものコロッケ」を紹介。その中にはブラックバスが入ってるとのこと。さらに「ブラックバス入りのナゲット」もあった。島には郵便局や商店もあり、郵便局には日本でここにしかない消印となっていた。宿泊施設は2つあり、目の前は琵琶湖のレイクビューとなっていた。小学校もあり全校児童は17名であり、半数以上が島外から通っているとのこと。学校では全校児童が島の伝統を学び、子どもたちの伝統芸が見られることもあるという。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。そして中学生以上は島から本土に通うとのことだった。
続いては福岡県の能古島。姪浜港から約10分で到着となり、どんな魅力や珍百景があるのかアピールしてもらうこととなった。港には商店や飲食店がたくさんあり、今年はコンビニがオープンしたという。島とは思えない絶景スポットは能古島唯一の展望台であった。歴史遺産もたくさんあり、その1つは「鹿垣」だという。江戸時代に鹿がいっぱいいたが、村に食料とかをいたずらしないように石垣を作っていて高さ2mが2km以上も続いていた。そして島1番の観光スポットを案内されることとなった。
福岡県能古島の自然公園では絶景ブランコがあり、写真映えスポットが多い場所として「のこのしまアイランドパーク」があった。秋にはコスモスが咲き、春には菜の花が咲くという。また花束ソフトという食べられる花を散りばめたソフトクリームもあるとのこと。1番の名物は芋天おばさんで「いも天」を販売している久保田睦子さんがいた。このいも天おばさんがパークの会長で71年前に亡き旦那さんと山を開拓して手作業で花植えし、16年かけて作ったという。今では会長がパークの名物になり、会長と合成されるプリ機もあった。おすすめの離島メシはのこバーガーの「のこダブルバーガー」だという。またこの島が発祥の野菜があり、ピーナッツもやしというピーナッツを発芽させたもやしとなっていた。天ぷらにして食べることが多いが、野菜炒めやナムルにしてもいいという。スタジオでも食べていき、マヂカルラブリー・村上は思っていたよりもやしだったとのことだった。
福岡県の離島である能古島。「福岡市立 能古島小中学校」は市内初の施設一体型小中一貫校であり、全校で166人だという。約7割が島外から通っており、大人気の小中学校がある島となっていた。また島では知らない人がいない超人家族がおり、3年前に一度家族を取材していた。それはウエイトリフティング家族であった。当時は小学生と中学生だった4兄妹だが、現在大学生の長男はウエイトリフティングの名門大学に通い全日本個人選手権・西日本学生選手権に優勝していた。伸び盛りの末っ子は大会動画が1人だけ大バズりしていた。長女は「小さい頃は兄のマネをしてただやってるだけだったが、記録も少しずつ上がってきて練習に対する気持ちが強くなった」とのことだった。そして次男は2024年のインターハイで2位となり2025年のインターハイでは優勝し、ユース日本代表にも選抜されていた。そのためアピールポイントは島にきたらこの家族に会えるかもとのことだった。全員がボタンを押し珍百景に登録となった。
「ポツンと一軒家」の番組宣伝をした。