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小田凱人はパリパラリンピックで男子車いすテニス史上最年少の18歳で金メダルを獲得した。その素顔と夢を追い続ける原動力に迫る。
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オープニング映像。
小田凱人の練習拠点は岐阜県岐南町にあり、愛知県の自宅から通っている。左脚には人工股関節が入っているため、左右で筋力に差が出てしまう。練習は長い時で4時間に及び、上半身と体幹の強化が中心。車いすを機敏に動かすチェアワークの練習では重さのあるボールを投げることで負荷をかける。小田は「どんな練習でも同じことを繰り返すと成長の段階が分かる。質だったりクオリティも比べたら割とハッキリ出る」と語った。
プライベートの小田は杖を使用して歩く。東京・原宿の古着屋を訪れた。身だしなみにはとことんこだわる。ショッピングは良いリフレッシュになるという。脚に左右差があるので、細いパンツは見え方がイマイチで太いパンツをはくようになった。 杖を選ぶ楽しさもあるなどと語った。
小田は洋服以外にも気を遣う。撮影前・試合前には行きつけの美容室でスキンフェードに刈り上げる。
小田はサッカー少年だった。土日は7~8時間も練習し、プロを目指していた。武器は左脚のシュート。その左足を歩けないほどの痛みが襲い、左股関節の骨肉腫と診断された。その日から「左脚に体重かけるな」と言われ、杖をつくなどして左脚を常に浮かせる生活になった。治ればまたサッカーができると思っていたが、大腿骨の一部を切除し、人工関節を埋め込む手術が必要でサッカー選手になる夢は奪われた。
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- 名古屋大学医学部附属病院骨肉腫
小田凱人は9歳で骨肉腫になり、大腿骨の一部を切除。サッカー選手になる夢を奪われた小田を救ったのが車いすテニス界のレジェンド・国枝慎吾だった。初めて見た試合は2012年ロンドンパラリンピック決勝。当時の衝撃を自身の著書で「最高にかっこよかった。いつかは僕も国枝さんみたいになりたい」と綴っている。国枝はパラリンピックで通算4個の金メダルを獲得。小田が病室でラケットを振る当時の映像を紹介。退院後は自宅近くの公園で父と練習した。14歳でジュニア世界ランキング1位となり、16歳だった2022年10月に国枝と対戦。数々の史上最年少記録を打ち立て世界一のプレーヤーとなった。ご自身を一言でどんな人間ですか?と質問すると、「ドリーマー。夢を持ってそれに向かって進む。生きるってそういうことじゃないですか」と答えた。
小田凱人は自ら企画した車いすテニス教室を続けており、同世代に技術を惜しみなく伝えている。テニスを通して若い者同士盛り上がりたい、教室というより交流+高め合う感じと語った。自伝を出版して撮影会、テレビ出演とコート外でも精力的に活動。その行動は未来へ繋がると信じている。面白い試合をして、お金を払ってでも観る価値がある選手になりたいと語った。
番組はTVerで配信。
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